私がステップファミリーになった頃


私の周りには同じ境遇の人がほとんどいなかった。


思い返せば、過去、自分がそうなった時、

なぜだか同じ境遇の人が周りに居ない事が多かった。


私は20歳で結婚して

21歳で第一子を出産した


その時、私の友達はみんな社会人でバリバリ仕事してて。


結婚も親になることも自分で選んだ道なのに

同じ年代のママ友も居なくて話し相手は当時の夫だけで、妊娠中の夫との会話も

『スーパーの卵が安かった✨』

とか思いっきり主婦会話で


社会から取り残されてる感覚が強くなった。


出産してからも母乳トラブルにあったりで実家から自宅になかなか帰れず、子育てのことは母と育児書頼り。


母の育児は一昔前のことで、育児書には月毎の赤ちゃんの成長が同じような過程で掲載されてる。


どちらも間違いではないんだろうけど、育児書通りに成長しない子供を見て不安になったり、そんなことでいちいち悩まなくていいという母の言葉も信じていいんだろうかと疑問を持ったり。


どうしていいのかわからなくて全てにおいて手探りだった。


やっと母乳トラブルも落ち着き自宅に戻れて家族3人の生活がスタートしたけど、夜泣きがひどいとご近所さんから苦情が来たり、生活の細々したところで違和感を感じることが段々と増えていった。


赤ちゃんを抱っこしてお魚屋さんとかお肉屋さんに行くと、周りのおばさま方から白い目で見られて、順番を越されることもあってなかなか買い物ができないってこともあった。


『まだ子供だよね?』

『子供が子供生んじゃった?』


小声で話すおばさんたちもいた。


当時の私って年齢よりよっぽど幼く見えたのだろうか?チビだし。



当時、車を持ってなくて

赤ちゃん抱っこでベビーカーを抱えながらバス停からバスに乗ったときもそうだった。

バスは満席で後ろの方で赤ちゃん抱っこしながらヨロヨロしながらでも立ってるしかなくて。


また同じ。


小声でヒソヒソ話。


なんか、悲しいな。て思った時。


バスの前の方で

『おーい!こっち座りなー!』

て叫ぶおじさんが。


席を譲ってくれたんです。


『姉ちゃん若いのに偉いな!色々あるけど気にするなよー!』

ておじさん。


涙を必死に堪えた瞬間でした。


あのときのおじさんがいなかったらたぶんいつポッキリ折れてもいい位、私の心は極細だったと思う。




社会て、なんか、冷たくない?


て、薄々感じてたけど当時の私は無知すぎてこれが普通なんだ、これが社会なんだ、これに慣れなきゃ、て思うことに必死だった。


保健所に赤ちゃん健診に行っても子供の成長に関しては色々教えてくれてもママに対する言葉掛けはほとんどなかった。


赤ちゃん生んだんだからあなたはもうお母さん。


そう言われてるみたいで、自然と、

『私は親。子供がちゃんと育つために私は頑張らなきゃ。』

今思えばそう洗脳されてるような感じだった。



でもできるわけがないじゃん。

1年前までなんにもできないアマちゃんだったんだから。



当時は今ほど若いママも居なくて子育てママの支援もなくて、子育てママたちが立ち上がり、今の支援が成り立ってきた。


やっと子育てママが孤立しないような社会になりつつあるなぁって思った時


私は子育てが大変だった時期はもうとっくに終わってて、シングルマザーになってた。



ここからは私の第2ステージ。


シングルマザーとしてどう生きていけばいいのかというフェーズに突入していた。