物の価値、勉強の価値、を考える
先日、大量の本を買い取っていただくために、
本の回収をお願いしました。
今はコロナなどで、
持ち込みでの買取や、
宅急便で送ってしまう方法なんかでしか
対応してくれなくなっている中、
来てもらえるところがありました。
もうほとんど[free]のような金額でしたが、
それでも持って行ってもらうのにもお金がかかる現状を
痛感しております。
その方が、
こちらの仕事を知って、
相談されました。
自分は学がないから、
子どもには、しっかり勉強をさせようと、
塾に行かせて、
中1で今、5位だそうです。
基本ができていたら、
そのままつながっていくという持論をお持ちのようで、
それが決して間違いとは思わないのですが、、
で、その下の娘さんが「塾へ行きたい」というのだそうです。
教えることはできないけれど、
どうやって、勉強に係わるのがいいのか。
なぜあまり必死にならずとも成績をキープできる人もいれば、
結構頑張っているのに、
なかなか点数をとれない人がいるのか。
教科書から学ぶ勉強のほかに、
いろんなものを見たり体験したりして、
周りの環境や、本人の今日もの度合いからも、
知らずに入れ込んできた知識があります。
どこかに買い物に行くにしても、
お家の人に手を引かれてついていくだけの人と、
周りをきょろきょろ見ながら、
町の看板や、人の動きを観察して、
わが身に吸収させる人との差は、
買い物先までの道中だけでも、
何倍もの知識を身につけます。
そういった日常の当たり前を入れ込めた分が
小学校での理解力となって、
それ以上入り込めなていない部分が勉強となる。
だからと言って、
小学校までは当たり前に知識となって、
ちょっとした上乗せだけで高得点をとれた人も、
その勉強として取り入れなくてはならなくなった時、
それから始める勉強の仕方によっては、
入れ込める度合いが違ってきます。
小学校の時に、
勉強として取り込んだ人の方が、
伸びるかもしれない。
それは高校でも同じことで、
中学校までは「神童」と言われていた人が、
高校になって、上位の高校に行ったら、
同じような「神童」がごろごろいて、
井の中の蛙でしかなかったことに気づいたりする。
そこから始まる「茨の道」、かもしれません。
そして、テストの点数や、学校の成績がすべてでもなくて、
本当に使える学びになっていないと、
「これでも、学生の頃は成績優秀だったんだ!」
と、捨て台詞を言うオヤジやオ〇サンになり果てるだけかもしれません。
勉強って、単にテキスト埋めるだけではないことで、
それを勉強の中で気づくこと、
入れ込む必要があるものだと思えば、
単なる穴埋めや、丸暗記のような勉強が、
どれだけ無意味か分かってきて、
意識が変わる時を感じます。
そして、お家の人が伝えるといいのは、
勉強が、これからの自分にとって役に立つために、
入れ込むための言葉がけだと思うのです。
まだまだ続きますが、一旦この辺で。
お読みいただき、ありがとうございます。


