1985年8月12日(昭和60年)いまから38年前その日の昼はとても暑く陽差しがいやがおうでも

タクシーの中まで差し込んでいた。滲む汗やけに暑すぎる。蝉の声も煩わしいほどでした。

 

昨日飲みすぎたせいか気怠い。タクシーのラジオからは「三光汽船」が民事再生法を受け戦後最大の倒産

と報じていたが頭がぼうっとしてました。赤坂見附を過ぎ紀尾井町にあるホテルオータニへ戻り

、お盆前帰省客などで東京→福岡便が取れずとりあえず東京から大阪そして自由席でもいいから

何としても博多へ帰らねばと新幹線に乗るつもりでした。部屋を出てエレベーターを待つけれど

待っても待っても来ない。そこで一旦進むと後戻りしない性分ですが微かに電話のベルが聞こえる。

かなり離れているが電話も鳴りやまない。気になったのでそれぞれの部屋のドアに耳を当てながら

自分が出た部屋だとわかった。

かなりの時間だったと思う。出ると「〇〇様良かったです。

連絡が取れなかったらどう しようとしつこくお電話させていただいてました。

取れました!東京から福岡 「JAL123便」の30分後のANA18:30発ですがいかがいたしましょうか?

と一階のJTBからのお電話でした。この方は命の恩人です。

「すぐ切り替えてください」といって走っていきました。

ごった返すホテルもですが羽田空港のことは何も覚えていない。

なぜだろう!福岡空港に着いたときは綺麗な夜景に見とれお盆休み前に間に合ったとほっとして

そのまま中洲のお店に行きドアを開けて入ろうとするとまるでお通夜のように静かで「ごめんなさい

。遅くなりました」というとご常連様とスタッフと母が幽霊を見るような顔でございました。

そして良かった!と抱きしめられて・・・

 

123便が御巣鷹山に落ちたとその後知るわけです。護られてるという思いと私の代わりに

キャンセルが出てとれたと喜ばれて搭乗された方を思うと毎年辛くなります。

 

一年経過するのが年々早くなりました。

三光汽船は戦後最大の倒産にも関わらず連日のJALの報道で小さな記事で終わったとか。

亡くなられた御霊に対して心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

今日は朝から毛玉を吐いています。

 

しかしれとさんと私がバルコニーから部屋に入った途端「チーン」とおりんの音が。ほかにいないのに。

帰ってこられたんだと思い「おかえりなさい」れとさん暫く離れません。どなたかな?

事故の後休めなかったので今日明日は体を癒します。

今度の病院は16日早く良くなってほしいものです。

 

お盆皆さまご旅行やご親戚やご家族様との久しぶりのお時間ご供養されて楽しまれてまたお盆明けからの

 

英気を養ってくださいね。

 

台風の行方が心配ですが充分お気をつけてくださいね。

 

 

 

 

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伊勢神宮 外宮 2022年11月上がらせていただきました時。