「人との縁は、切れてもいいわ」
朝、コーヒーを淹れていた時に、ふと思いました。
私はずっと、人との繋がりに執着するところがあったんですよね。
ずっと
私は好かれない。
私は嫌われる。
関係が続かない。
一人ぼっちになる。
孤立する。
って思ってきたので、
少し仲良くなれた気がする人に、執着してしまう。
私から離れていかないで💦ってしちゃう。
以前こんなことを書いたけど、なかなか難しいなと思ってました💧
で、先日お風呂に入っていたら
「私、縁は切れるものって思ってるよなぁ…」
と、なんだかとってもしみじみと思ったんですよ。
前から思ってることは自覚してたけど、
それよりももう1段深く、
心の底からそう思ってるんだなぁ…ってため息が出ましてね。
(これを、 人々は絶望と呼んでいるのでしょうか?)
とりあえず、【不採用】にすることにしました。
これから先は、「縁は切れるもの」という概念は採用しませんよ。としました。
その2日後の朝「縁は切れてもいい」と思った時に、あれ?となりました。
どうせ縁は切れないんだもん✨じゃないんだ?って。
私はてっきり、
「縁が切れる」の反対は「縁が切れない」で、
「繋がり続ける」だと思ってきたんですけど、
(というか、そうであってほしかった😂)
【絶対に】縁が切れるの反対は、
縁は切れるかもしれないし、切れないかもしれないなんですよね。
で、今までも「切れるかもしれないし、切れないかもしれない」と思おうとしたことはあって。
でも、無理で。
本当は切れてほしくないから、
どうしても受け入れたくなかったんですよね。
じゃあなんで今回は出来たんだろう?と考えてみると、
思い当たる理由は2つありました。
①新しく無理なことを思おうとしなかったから。
②「繫がる」の意味が変わっていたから。
①新しく無理なことを思おうとしなかったから。
これはノウハウの話ですね。
これまでのしんどい価値観を無くすだけでオッケーですよ。という話。
本当はしっくりきてないのに、
無理に都合の良い新しい価値観を思い込もうとしない方が、
変化が簡単。
設定変更で難民になってしまう人は、
これを無理矢理やろうとするから難民になってしまうのだと、勝手に推測してます。
今回だったら、
無理に「切れても切れなくても、どっちでもいいんだもーん。(本当は切れてほしくないけど)」とやせ我慢するとか、
「縁は切れないもの!(そうであってくれ)」とか思わず、
「縁は切れるもの」というしんどい前提だけを無くすことが出来たから、
結果として、
切れるという可能性も、
切れないという可能性も
等しく受け入れることができた。ということです。
キラキラとした感覚は無くて、
「仕方がないよなぁ…」っていう諦めに近い感覚。
でも、腹が決まったときみたいな、清々しい感覚があります😊🍀
②「繫がる」の意味が変わっていたから。
コレに関しては、後付けの理由なのか、
こっちが先なのか、もうよく分からないんですが(笑)
あまりに長いので次回に続きます🙌
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