つまり設定変更とはこういうことなんだろうな…という、私の勝手な解釈です。
「私」という雫の中に、既に価値も、幸せも、自由も入っている。
中身は既に繁栄してる。
雫はつつけば揺らぐ。
現実は、このつつかれて発生する揺らぎのようなもの。
設定変更とは、この揺らぎ部分を遊ぶためのもの。
内側の繁栄を認めて受け入れると、表面に出やすい状態になり、現実世界も繁栄していける。
では、既にある、価値、幸せ、自由とは何か?
価値とは、存在しているだけで認められている、不可避のもの。
存在していることが既に、価値の証明。
だから、憧れのあの人も、大嫌いなあの人も、歴史上の偉人も、犯罪を犯した人も、みんな等しい価値がある。
キラキラ光るダイヤモンドも、道端の石ころも、等しい価値がある。
当然、生も死も、等しい価値がある。
そんなわけない!と感じられても、自分の視点からは分からなくても、天・神様・宇宙(別に何でもいいけど)の視点からみれば、価値がある。
考えが及ばなくても、そうなんだ。とする。
価値があることは、逃れられない事実。とする。
幸せとは、「感じたい!」という願いが叶っていること。
私たちはみんな、感じたくて生まれてくる。
感じたいものは、楽しいこと嬉しいことだけではなく、悲しいことも辛いことも嫌なことも含まれる。
つまり、私たちはみんな、生まれながらにして最も大きな願いを叶えた状態で生まれてくる。
生きている限り、何があっても、この幸せが奪われることはない。
自由とは、目の前のことを、どう解釈するかの自由のこと。
目の前にひとつの現実があっても、それをどう解釈するかで、楽しくなったり悲しくなったりすることができる。
そういう自由が認められていること自体が、奪われることのない内側に存在する自由。
私たちは、生きている限り、誰にも奪われることのない価値と幸せと自由を有している。
当然、他の人も同じ。
というのが大切な大切な土台。
その上で、じゃあ、どうしたら揺らぎの部分をもっと生きやすく、好みにしていけるかなー
というのが設定変更。

○○を△△に設定変更しましたー!というのは全体の一部でしかなく、
もしかしたら土台そのものを受け入れられれば、する必要もないのかも知れない。
というのが、私から見る設定変更です。
あくまで講座もまともに受けていない私の勝手な憶測なので、真偽のほどはわかりません(笑)
ちゃんと知りたい方は藤本さきこさんの講座へどうぞ。です
