生きていれば、イライラしたりモヤモヤしたりする事はたくさんある。

過食症が治った今も、それは変わらずに起こる。


遅刻してしまって1日の流れが全部変わってしまった、、

心無い言葉を人に言われた、、

行きたい所があるが体調不良でもう入金済みなのに行けない、、


自分の理想と違うような事が起こる事に、私はとても弱い。

まーいっかと流せず、ずっと頭にその事がリピートし、イライラしたりモヤモヤしたりが止まらなくなる。


過食症の時は、そのどうしようもない気持ちに耐えられず、食べ物を体に詰め込んで、胃袋をぱんぱんにして誤魔化していた。

胃袋がパンパンになると、満たされなかった心までが満たされたような気持ちになって、それは一時の魔法であるけれど、救われた。

そして、脳が働かなくなるくらい食べ続けて、泥のように眠っていた。


いま思えば、耐えきれない心を、過食が守ってくれていたのだと思う。


そして完治した今は、

そんな事が起こったら、イライラ、モヤモヤを抱えたまま、


銭湯に行ったり仕事に行ったり掃除をしたり、ヘアサロンを予約したりインテリア雑誌を見たり服を見たり、妹の犬を可愛がったり、


子どもが産まれてからは、子どものお世話をしたり遊んだり散歩したり。


少しでも自分にとって心地良い事をしているうちに、イライラ、モヤモヤが小さくなって、


まーいっか


に変わっている。


どんな事をすれば心地良いのか。

これを見つけるのに長い月日がかかった。


例えば、散歩が気持ち良い、と思って行っても

過食に走る事は何百、いや何千とあった。

同じ散歩でも、どんな体調でどんな天気でどんな場所でどれくらいの時間で


などなど、事細かに自分の快を知る必要があった。

それだけ私は、自分の事を分かっていなかったのだ。

快、不快が麻痺をしていたのだ。


それ、違うよ!快じゃない!

って過食は教えてくれた。

16年もかけて。。。


でもそれが分かってきたら、本当に生きやすくなる!

いつか、あなたの心地よい!を一緒に探すお手伝いもしてみたい、という夢もあります。


それくらい、過食症を治すにあたり、快、不快を知ることは大切だった。


過食症が治っても、日々、モヤモヤ,イライラはあるけれど、


それと同じくらい自分の心地良い事を知ったから、


抱えながらもそれをする。


そしたら


なんくるないさあ、


なのだ。





写真は地元の海。

散歩は自然の中を身軽に歩く。

これが私は心地良い。