良い事をしていると
自負している事が
結果的には
そうではなかった…
ってことはありませんか?
『小さな親切
町会のメンバーが
だんだんと高齢になってこられて
それらの方々の為にと思って
ややこしい作業を前もって準備したい…
また、生ゴミ置き場の掃除も
当番制になっていますが
ゴミネットの準備、片付けもあります
時間内に出ていない時は
そのまま(ネット掛けないで)生ゴミをおいて置くわけにも行かないので
ネット準備したり、収集後地面にゴミ汁がある時は水で流しておきます(バケツで
ゴミ置き場まで水を運ぶのは、体力のない方には大変だろうと…)
でも、それは公平ではないようです
そして、高齢の方の「やる気」を奪っている…
「自分が社会に役立っている」という喜びをないがしろにしている…
らしいです
こんな話を思い出しました
〔ある介護施設で
秋の運動会の出し物で
簡単な『パン食い競争』を企画したそうです
企画者は、きっとみんなに楽しんでもらえるという自信がありました
ところがあるおばあさまは
「口でパンに喰らいつくというような、行儀の悪い事は出来ない」
と拒否されたそうです
利用者様それぞれ、ご自分だけが培ってこられた人生があり
過ごされてきた環境、文化的な背景がある…
それを洞察しないで
自分の尺度で測るのは危険だし
配慮が足りない行為になり得ないか?
自己満足の押し付けにならないか?〕
というものです。
いろんな方向からものを見る力や
善意(と思う事)がどんな過程を経て
最終的にどんな結果的になるのだろうか?という
写真は記事と関係ありません。イメージとして…



