鏡 (ルカ 6章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

世界中がいくら集まって
よき世にいたす相談いたしても
肝腎のが判らんから、まとまりつかん

たれ一人、悪いわがままの
持たん人間ないぞ

その癖を直して行くのが
皮むくことぢゃ

改心ぢゃ

弥栄行くことぢゃ






ご訪問頂きありがとうございます
どうぞよろしくお願いします






イエスはまた一つの譬を語られた

盲人は盲人の手引ができようか

ふたりともに落ち込まないだろうか

弟子はその師以上のものではないが
修業をつめば、みなその師のようになろう

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら
自分の目にあるを認めないのか

自分の目にある梁は見ないでいて
どうして兄弟にむかって

兄弟よ、あなたの目にあるちりを
取らせてください、と言えようか

偽善者よ、まず自分の目から梁を
取りのけるがよい

そうすれば、はっきり見えるように
なって、兄弟の目にあるちりを取りのける
ことができるだろう












を覗かなければ、自分の顔は
わかりません


自分の後ろ姿は、自分ではわかりません


外見だけでなく、内面も同じです


存外、自分のことはわからないのです


アイツは自分勝手だ、言いながら
自分もそのように振舞っているのです


だからこそ、兄弟を批判するよりも
まずは、自分の行いを見つめ直す
ところからです


それには、暗く歪んだ鏡ではなく
平らでキレイな鏡をみて、身だしなみを
整えることが大切です


イエス様をみることで、自分がわかるのです


イエス様を知ることで、自分がわかるのです


何もできないことがわかるのです


我善しであることがわかるのです


あわれみが欠けていることがわかるのです


が映るからです


ありのままを受け入れることです


反省し、謝罪する心が湧き上がるからです


イエス様のすごさがわかるのです


イエス様にお任せすれば良いことが
理解できるのです



イエス様の御心のままになりますように


本日は以上となります
ありがとうございました