栄光 (マルコ10章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

今度 岩戸開く御用は、人の五倍も
十倍も働く人でないとつとまらんぞ

岩戸開くと申しても、それぞれ
岩戸あるぞ

大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と
それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂
相当の岩戸開いて呉れよ

が出ると分らんことに、になるから
神、気つけるぞ

神の御用と申して自分の仕事休む
やうな心では神の御用にならんぞ

どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分も
して下されよ

神は見通しざから、つぎつぎによき様に
してやるから、慾出さず、素直に今の仕事
致して居りて呉れよ







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ゼベダイの子のヤコブとヨハネとが
イエスのもとにきて言った

先生、わたしたちがお頼みすることは、
何でもなんでも叶えてくださるように
お願いします

イエスは彼らに

何をしてほしいと、願うのか

と言われた

すると彼らは言った

栄光をお受けになるとき、ひとりを
あなたのに、ひとりをに座るように
してください

イエスは言われた

あなたがたは自分が何を求めているのか、
わかっていない

あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、
わたしが受けるバプテスマを受ける
ことができるか

彼らは、できます、と答えた

するとイエスは言われた

あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、
わたしが受けるバプテスマを受けるであろう

しかし、わたしの右、左に座らせることは
わたしのすることではなく、ただ備えられ
ている人々だけに許されることである

十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネ
とのことで憤慨し出した












人は、自分の栄光を求めます


自らの誉れを求めます


富や名声、権力を求めます


そのために、ときには努力を惜しみません


それは、イエス様の十二弟子でも同じです


ゼベダイの子のヤコブとヨハネのことで
十人の者が憤慨したのもそのためです


出過ぎた真似に腹を立てたのではなく
先を越されたから憤慨したのです


ですが、上へ上へと求める心は
イエス様の御心ではありません


イエス様は、仕える心、謙る心を良し
とされるのです


手を伸ばして、枝にある実を取るのではなく
自然と落ちてくるのを待つのです


まずは、自分ではなく、主である

イエス様の栄光を求めるのです


イエス様の弥栄を祈るのです


御用をするのです


そのために、努力するのです


主が栄えれば、結果として、仕える者も
栄えます


優先順位をよくよく考えることです


下へ下へと下がる心が、天では
報われるのです



イエス様の御国が来ますように


本日は以上となります
ありがとうございました