血 (マタイ26章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し
展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、
世ひらき、世むすび、天地栄ゆ

はじめの道

世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ

邪魔せずに見物いたされよ

御用はせなならんぞ

この神示読めよ、声高く

この神示とせよ

益人となるぞ







ご訪問頂きありがとうございます
どうぞよろしくお願いします





一同が食事をしているとき、イエスは
パンを取り、祝福してこれをさき、
弟子たちに与えて言われた

取って食べよ

これはわたしのからだである

また杯を取り、感謝して彼らに
与えて言われた

みな、この杯から飲め

これは、罪の許しを得させる
ようにと、多くの人のために
流すわたしの契約の血である

あなたがたに言っておく

わたしの父の国であなたがたと共に
新しく飲むその日までは、わたしは
今後決して、ぶどうの実から
造ったものを飲むことをしない













神様との関係は、契約が大切です


従えば栄え、背けば衰退します


歴史のとおりです


聖書のとおりです


そして、神と人との間に契約がある
ように、神様とイエス様の間にも約束事
があるはずです


イエス様は、すべての罪を許す権威
ありますが、無条件ではないのです


条件を満たさなければ、許しを得させる
ことはできないのです


条件とは「イエス様許される」という
ことです


イエス様がなければ、許されないのです


その人のに、イエス様があれば、
その罪は覆われるということです


だからこそ、イエス様のからだを
食べなければいけません


イエス様の血を飲まなければいけません


それは、イエス様のです


イエス様の御言です


イエス様で、いっぱいにするのです


御言には、「祝福」と「呪い」があります


「あわれみ」と「裁き」があります


どちらかを受け取るしかありません


イエス様は、どちらを求めているのか


イエス様の御心をよくよく思うのです



イエス様の御名が崇められますように


本日は以上となります
ありがとうございました