口火 (マタイ15章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

口先ばかりで、その場限り
うまい事申して御座るが
それは悪の花、心と行が 伴わんからぢゃ

自身のいくさが終ってゐない
からであるぞ

そなたのもつ悪いくせを 直して下されよ

それが御神業ぢゃ

神々様も自分のくせを直すために
御苦労なさってゐるぞ

そのために生長する

昨日の自分であってはならんぞ







ご訪問頂きありがとうございます
どうぞよろしくお願いします







聞いて悟るがよい

口にはいるものは人を汚すことはない

かえって、口から出るもの
人を汚すのである

そのとき、弟子たちが近寄ってきて
イエスに言った

パリサイ人たちが御言を聞いて
つまずいたことを、ご存じですか

イエスは答えて言われた

わたしの天の父がお植えにならなかった
ものは、みな抜き取られるであろう

彼らをそのままにしておけ

彼らは盲人を手引きする盲人である

もし盲人が盲人を手引きするなら
ふたりとも穴に落ち込むであろう














良いことも、悪いことも、はじめは
からです


清いことも、汚れたことも
からはじまるのです


口から出たものは、口から胃腸に入って
排泄されるわけではなく、心の中に
入って、残り続けるから恐ろしいのです


心の中で、災いの実と成る場合もあります


ですが、汚すとわかっていても
舌を制することは難しいのです


心の倉にないものは、取り出すことは
できないからです


自分だけは清いと思っているから
親切心もあって汚し言葉を吐くのです


盲人ではないと思っているから
良いほうに導こうとして、ともに穴に
落ちてしまうのです


口静かにできないのです


神様に似せて造られた人という
存在は恐ろしいのです


口にした知識の実は怖いのです


神様にすら暴言を吐くからです


イエス様を足蹴にするからです


聖霊を汚すからです


改めは、反省からです


反省は、気づきからです

 

 

くせ直しです


小さくなければ、流れてこないのです


御言の咀嚼は大事です


日々の食事と同じです


よく噛んで、柔らかくして
無駄なく栄養にするのです



イエス様の御名が崇められますように


本日は以上となります
ありがとうございました