粥 (マタイ13章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

春とならば萌出づるのざぞ

草木許りでないぞ、何もかも
萌出づるのぞ、此の方の申す事 譬でない
と申してあろが

少しは会得りたか

石もの云ふ時来たぞ

此の道 早く知らして呉れよ

岩戸は五回閉められてゐるのざぞ






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弟子たちがイエスに近寄ってきて言った

なぜ、彼らにでお話しになるのですか

そこでイエスは答えて言われた

あなたがたには、天国の奥義を知ること
が許されているが、彼らには許されていない

おおよそ、持っている人は与えられて
いよいよ豊かになるが、持っていない
人は、持っているものまでも取り上げ
られるであろう

だから、彼らには譬で語るのである

それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず
また悟らないからである













病人は、胃腸も弱っています


だから、病人には、疲れた胃腸に優しい
食べ物の方がありがたいのです


柔らかく煮込んだものの方が
より栄養になります


神様の御言も同じと思います


神の奥義だから有難いわけではありません


奥義を与えられても、返って その奥義
飲み込めずに、病が深刻化する場合が
あるのです


イエス様が譬でお話になるのは
やさしさのためです


食べやすくしているのです


それは、聞こえない耳にも届くためです


それは、見えない目でも見えるためです


鈍っている心でも悟れるようにです


要するに、イエス様の御名は
なかなかに飲み込めないのです


如来や菩薩ならば、不思議と飲めるのです


スサナルの神様と言えば、不思議と
飲めるのです


天地の恵みを考えれば、簡単なのです


譬はありがたいのです



イエス様の御名が崇められますように


本日は以上となります
ありがとうございました