蓄え (マタイ 6章_七巡目) | イエス様の命の言を育てて食す

イエス様の命の言を育てて食す

食べることは喜びです
肉体に食あるように、霊にも食あるのです
イエス様の命の言を繰り返し反芻して存分に味わうブログです

 

 

何もかもてんし様のものではないか

それなのにこれは自分の家ぞ、
これは自分の土地ぞと申して自分勝手
にしているのが神の気に入らんぞ

一度は天地に引き上げと知らして
ありたこと忘れてはならんぞ

一本の草でも神のものぞ

野から生れたもの、山から取れたもの
海の幸もみな神に供へてから臣民
いただけと申してあるわけも
それで分るであろうがな





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どうぞよろしくお願いします




自分のために、虫が食い、さびがつき、
また、盗人らが押し入って盗み出す
ような地上に、宝を蓄えてはならない

むしろ自分のため、虫も食わず、さびも
つかず、また、盗人らが押し入って
盗み出すこともないに、宝を蓄えなさい

あなたの宝のある所には、もある
からである

目はからだのあかりである

だから、あなたの目が澄んでおれば
全身も明るいだろう

しかし、あなたの目が悪ければ
全身も暗いだろう

だから、もしあなたの内なる光が
暗ければ、その暗さはどんなであろう











人には、欲があります


裕福な人を見れば憧れます


溢れるほどの富がほしいと望みます


ですが、この世に自分のものはありません


髪の毛ひとすじ、自分のものではありません


すべては、神様のものです


すべてを授かったイエス様のものです


だから、いくら蓄えても、いつかは
取り上げられるのです


逆に、借銭が増えるのです


慢心するからです


心が、イエス様から離れるからです



ですが、人が、真に掴めるものがあります


人に与えられた宝があります


イエス様です


イエス様が蓄えです


心にあるイエス様を盗める者は
いないのです


自分から捨てない限り、永遠に
あり続けるのです


イエス様を蓄えることが努めです


日々、イエス様を求めることが善事です


明るくなるのです



イエス様の御名が崇められますように


本日は以上となります
ありがとうございました