歯無しに困った歯科医者? -8ページ目

歯無しに困った歯科医者?

実はおいちゃんの作品です。自分でオツム年令のバロメーターと思って
いつまでも固まらないように
柔軟な発想で色々な角度からメッセージを書きたいと思ってます。

 

 話は180度 変わって、、あせるあせる

 

 昔からの一部のブログ仲間は知ってるだろうが、

 

 我輩、幼少の頃から南海ホークスのファンだった。

 

 TVも無かった頃だし、買った後も放映がなかった地域なので

 

 朝刊を毎日楽しみにしてた。ファンになった理由は分から

 

 ないが、当時の鶴岡監督が遠縁にあたると聞いたのが切欠かも

 

 知れない。やがて大阪から福岡に来たもんだからタマラン!

 

 杉浦監督。とても温和で、成績はイマイチも豪快な采配で、

 

 負けても面白かった。

 

 翌年、Tが監督になって即やめた。むかっ結果論解説者で魅力0

 

 翌年の結果は確か借金約46ドクロで終えたと記憶している。

 

  元西武の球団部長、T監督、佐々木放出、秋山入団。。

 

 まるで西武=ダイエー、流通業界ズブズブである。

 

 当時のダイエー、下請けイジメは半端なかった。

 

 莫大な買収資金が仕入れ業者からかき集められた。

 

 業者は支払い保留、遅延、返品等を恐れてやむなく。。


 

 暫く、野球に興味を持てなかったが、野村がヤクルトの

 

 監督に就任するとモチベーションが復活した。

 

 メディアを面白おかしく使い、多くのファンを惹き付けた。

 

 結果、周知のとおり、ヤクルトVS巨人という構図を

 

 作り上げたのである。自ずと球団収入が増え、選手にも

 

 還元される。先々の選手の人生をも左右する教えもし、

 

 現在も尚、プロ野球界で重要なポジションに付いている。

 

 

 前置きが長くなったが、同氏の著書を読破し、

 

 「野球は90%は監督の腕次第」と確信した。

 

 100%と思わせたのは、誰あろう「工藤公康」である。

 

 サファテ、岩崎の2枚看板で優勝した翌年、共に離脱。

 

 当時の野手、投手は一軍半並みだった。

 

 その年は二軍監督が藤原と記憶しているが、情報交換、

 

 連携が見事で、これも「監督の腕」と思う。

 

 強いて言えば、「O会長は邪魔」だったように察する。

 

 後の松坂入団もさぞや不本意だったであろう。

 

 

 さて、再度、本題に入る・・クマ

 

 一昨年、ヤクルトが最終盤の試合の9回に、猛抗議をした。

 

  選手もモチベーションがメチャ盛り上がったように映った。

 

 内心「ヤクルトの優勝だ!」 連勝の始まりである。

 

  一つの試合が流れを変えさせる典型だった。

 

 流石、ノムさんの弟子、高津。 

 

 「半ば、フリ」だった様に思う。

 

 

 そして、昨年のペナントレース、特にセ。

 

 岡田阪神、新井広島が巨人を上回った。

 

 結果的に、2008年のリベンジとなった ?

 

 

            (チョイと続く)

 

 

 

 経験的印象として、元二塁手って何故かダメ監督が多い。。

 

 またダメ選手に限って解説者になる・・

 

 選択肢がないのかもね。ランニングランニング  パー