宮沢喜一氏の定義した「保守」
4月5日付新聞のコラムから
先月の国会審議でなつかしい名前を聞いた。
故・宮澤喜一氏のかっての発言が引用されていた。
「たとえ何がしかの外貨の黒字が稼げるとしても、
我が国は兵器の輸出で金を稼ぐほど落ちぶれていない」。
公明党の西田実仁氏が、1976年の宮沢外相の国会答弁をもとに、
武器輸出に前のめり政府を追及していた。
高市首相は「時代が変わった」
「産業につなげ、お金を稼ぐことが落ちぶれ事だとは思わない」と反論した。
1965年に著した「社会党との対話」で、40代の宮沢氏が語っている。
保守とは「立ち止まって計算する態度」だとも述べている。
漸進的。行きつ戻りつ。
そんな態度は、いま「保守」を強調する政治家たちと大きく違う。
高市氏の言葉づかいで、ずっと気になっていたことがあった。
「国論を二分する政策」である。
二分するということは世論が分かれ、分裂しているわけだから、
通常はマイナスの文脈で使う。しかし高市氏はプラスの意味を持たせ、
そんな背作を推し進めるのが自らのが政権なのだという。そうやって
「勇ましさ」を演出しているのだろう。
宮沢氏は逆だ。先の著書で憲法改正に触れて、こう述べている。
「仮に60対40で改正賛成といった場合、結果は国をほとんど
二つに割ってしまうことになる。
そうやって改正されたものがうまくゆくはずがないと思うのです」。
国論二分について、正しくマイナスの意味で語っている。
宮沢氏は蔵相を務めた。その時、担当記者として何度となく取材したのだが、
「いりよう」という言葉をよく口にしていたのが印象的だった。
その政策は果たして入り用なのか。日本経済にとって今何が入り用なのか。
宮沢氏は自問していたように思う。
主義主張とも勇ましさとも対極にある姿勢だ。
必ずしも「いりよう」ではない政策。そんなものが今
押しつけられようとしているのではないか。
憲法改正しかり。国旗損壊罪しかり。
一方でまったく「いりよう」ではない台湾有事をめぐる発言が、
日中関係にひびを入れた。保守とは何だろう。
自民党はずいぶん遠いところに来てしまったように思う。
私が総理ならば、宮沢氏の様に50年後、100年後にどの様に
皆から語られるかを大切に言動を考え抜く。「九思一言」:孔子。
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安部龍太郎氏: 作家
社会の破局や民主主義の危機は、ある日突然起こるのではない。
そこに生きる人々の「仕方ない」「自分には関係ない」といった、
小さな妥協や無関心が積み重なり、気付けば引き返させない場所は
押し流されない場所に押し流されている。
それが歴史の真実だろう。
