随分久しぶりになっちゃいました。
無精極まれり...
まそれは置いといて。
タイトルが何かと言うとですね
最近何だか気持ち悪いなぁと思っていることがあってですね。
まるで義務かのような空気になってるけどそれ本来善意ですよねと。
例えば電車。
座席を譲るという行為はその人の善意から行われることだと思うんだ
譲る「必要」があるわけではなくて、「譲ってあげたい」っていう思いやり。
SNSやってるとたまに目に入る「譲らない人批判」が何だかね...
健康で若い人だって何らかの理由で数日ろくに眠れてなかったり、精神がまいってたり、いろんな理由で「思いやり」を持てないときだってあるし、傍目には健康にしか見えなくても不調を抱えてる人だっている。
「実はこういう状況だったのに無理やり席を譲らされた」っていう話もいっぱい転がってて、その時は譲らせた側を理不尽だと責めるのに、自分の視界に入る「譲らない人」がそういう人かもしれないとは思わないみたい
いやそういう特別な状況じゃなきゃ席を譲れって言ってるわけじゃなくてね。
譲らない人が非常識なんじゃなくて、譲れる人がエラい。
譲って当たり前じゃなくて、譲った人には「良いことしたね」じゃないのかな?ってこと。
それと同じように感じるのが、お店とか企業のお客様対応なんだけど。
サービスはあくまでもおもてなしや感謝の心であって義務じゃないよね。
笑顔や丁寧な接客は当たり前のように根付いてるけど実は当たり前じゃない
受けられないことに腹をたてるんじゃなくて受けられることに「心遣いをしてくれて有難う」じゃないかな。
善意を当たり前に捉えてしまったらつまらないと思うんだ。
席を譲ってる人を見かけたとき、それが義務だと「当たり前」だけど、善意に任されてると「お、やるじゃん」ってホッコリするでしょ?
「この企業はこういうサービスがない」じゃなくて「このお店はこんな風にサービスしてくれる」てとらえる方が良くないかな?
ん~なんか上手く伝えられないんだけど
こぅ...善意が義務に塗り替えられてってるみたいで、そこに発生する「正義感?からの攻撃」が何だかモヤモヤするなぁ...ていう話。