彼は中学1年の時
我が娘も在籍していた卓球部に入って来た。
卓球経験の全くない顧問に要請されて2~3回指導に行った時
彼が障がい者だという事はすぐわかったが
悲壮感みたいなものは全くなく
むしろ他の生徒より快活だったのを今でもよく覚えている。
(彼は私を全く覚えていないらしい・苦笑)
時は過ぎ
高校も娘と同じだったが
私と卓球することはなかった。
パラリンピック出場を意識し始めたのは
高校卒業してからだったと思うので
日本代表歴は決して長くない。
地元の大学に入り 卒業後は企業に就職もしたと思うが
数年後 風の便りで
出社義務のない会社とプロ契約したと聞き
それなら平日朝のおばさん練習日に来れるかもしれないと
地元の大会で彼を見かける度に
家も体育館も近いし
おいでおいで と耳元で囁いた結果
ちょうど私自身が始めた 新たな練習日の初日に
「Wさんが呼んでいる~」と
飛び起き 5分で来たと言っていた。
そんな寝起きの彼と
今よりもうちょっと若かった私は試合をして愕然とした。
勝てると思っていたのに 惨敗しただけならまだしも
他のオバサンの方が私よりいい試合をしているではないか。
内心穏やかではなかった。
あれから7年
時々勝てる様にはなったが
東京パラからパリパラまでの3年間で
どんどん腕を上げメダルが狙える位置まで来
私は勝利からどんどん遠ざかって行った
パリパラでは
周囲の期待も大きく
プレッシャーもあったと思うが
表に出さず 長い物に巻かれず
独自の道を切り開いてきた。
メダルは取れなかったが
パラスポーツを知ってもらう舞台に立てた事は誇らしいこと。
私もブログという場所を借りて
パラ卓球を知らない方に宣伝をさせてもらったが
練習相手としても宣伝係としても力不足を感じている。
オリンピックとは比べ物にならない少ない放送、報道。
多様性だの何だの言うなら
もっとパラスポーツ報道しろ と言いたい。