イェスパー・グロンケア。

 

身長187cmながら、左サイドを主戦場として活躍した名ウイング。

 

欧州の強豪クラブに所属して、W杯出場は2回、ユーロにも2回出場。

 

グリーンランド生まれにして、同地出身初のデンマーク代表。

 

現在43歳、10年前に引退した彼の華々しい経歴を順番に紹介します。

 

Wikipediaでは「グレンケア」と表記されていますが、イギリスの実況が「グロンケア」と言っていたのでそれに合わせます。

 

 

オールボー

在籍:1995~98

成績:86試合10得点

 

17歳でトップチームに加わると、その年にリーグ戦29試合に出場。

 

1995年にはデンマークのU-19最優秀選手賞に選出。

 

快速ウイングとして不動のレギュラーとなり、3シーズンでリーグ戦欠場はわずか13試合。

 

ヨーロッパのスカウトからも注目を集め、オランダに活躍の場を移します。

 

 

アヤックス

在籍:1998~2000

成績:55試合12得点

 

後に代表でも長らく一緒に戦うことになる、オルセン監督率いるアヤックスへ移籍。

 

ライバルPSVが圧倒的な強さを誇っていたこともあり、在籍中のタイトルは98-99シーズンのKNVB杯(オランダカップ)のみ。

 

一方で、個人としてはきっちり評価を受けており、2000年にはアヤックスの年間最優秀選手に選ばれます。

 

低迷するクラブの中で輝きを放ち続けると、さらなるステップアップを果たします。

 

 

 

チェルシー

在籍:2000~04

成績:88試合7得点

アブラモビッチがオーナーとなったのが2000年の夏。

 

この頃のチェルシーは北欧感が強く、ノルウェー代表のフロー、フィンランド代表のフォルセル、アイスランド代表のグジョンセンが居ました。

 

グロンケアも2000年の冬にデンマーク人最高の移籍金で加入し、ラニエリ監督のもと4シーズン在籍。

 

先発出場は56試合とスーパーサブ的な立場でしたが、クラブのCL出場権獲得に貢献。

 

カップ戦での得点含め、彼が得点を決めた試合は負けないというジンクスも生まれました。

 

しかし、リーグ優勝はならずラニエリ監督は解任され、グロンケアもバーミンガムへ移籍します。

 

 

 

バーミンガム・シティ

在籍:2004

成績:16試合0得点

当時のバーミンガムはプレミアの中堅チームで、数シーズン2桁順位が続いていました。

 

これまでの実績から大いに期待されたグロンケアでしたが、チームにフィットせず。

 

次第に信頼を失い、監督からも「ボールを持ち過ぎる」と厳しい評価を下されてしまいます。

 

カップ戦で1点を取ったのみに終わり、半年弱の在籍でスペインに旅立つことになりました。

 

 

 

アトレティコ・マドリード

在籍:2005

成績:16試合0得点

 

トーレスが君臨していた中堅時代のアトレティコ、懐かしいですね。

 

彼らがレアル・バルサに対抗するのはまだ先の話で、残念ながらチームは11位に終わります。

 

その陰で、ゴールこそ無かったものの、自身は出場機会を得てひっそり復活したグロンケア。

 

ここで落ち着くかと思えに見えましたが、今度はスペイン生活での苦しんでしまいます。

 

移籍要望書を提出して移籍が決まり、ブンデスリーガでプレーする事になりました。

 

 

 

シュトゥットガルト

在籍:2005~06

成績:25試合0得点

 

本人が希望して加わったシュトゥットガルトですが、ここでは期待に応える事が出来ませんでした。

 

チームは中位に沈み、自身はじわじわと序列を下げ、監督からも「意欲を欠いている」と批判を受ける有様。

 

代表でも同僚のトマソンと二人して厳しいシーズンを過ごし、デンマークはW杯にも出場できずと踏んだり蹴ったり。

 

バーミンガムの時と同じ流れを繰り返すかたちになり、シーズン終了後にコペンハーゲンへ戻ります。

 

 

 

コペンハーゲン

在籍:2006~11

成績:114試合16得点

 

失意のなかデンマークに帰還したグロンケア。

 

移籍先は本国の首都であり、国内随一の強豪コペンハーゲン。

 

ここで10番を背負い、グリーンランド生まれの名ウイングは本来の実力を見せつけます。

 

1年目にいきなりリーグ優勝をもたらすと、09-10シーズンはチャンピオンズリーグでベスト16に進出。

 

翌年、リーグ3連覇を置き土産に引退します。

 

 

デンマーク代表

活動:1999~2010

通算:80試合5得点

 

代表デビューは21歳。

 

EURO2000の予選、対イタリアというハードなデビュー戦に先発出場しました。

 

本大会でデンマークは3連敗を喫してしまいますが、グロンケアはいずれもフル出場。

 

日韓ワールドカップでも4試合全てに出場、チームをベスト16進出に導きます。

 

2004年のEUROでは第2戦の終了間際にゴールを決め、この大会でもベスト8進出に貢献。

 

ここまで代表でも活躍を見せていたグロンケアですが、バーミンガムに移籍したのがまずかったのかもしれません。

 

ドイツW杯は予選敗退。

 

コペンハーゲンに移籍してからも、リーグ優勝を逃した年にEUROも予選敗退。

 

本人の調子と連動するようにして、代表は低迷を続けます。

 

それでもここで終わらないのがこの男、CLでベスト16に進むと、デンマーク代表も予選を通過。

 

南アフリカW杯では2試合の出場に留まりますが、代表でもクラブでも、キャリアの終盤に巻き返したグロンケア。

 

引退後はうつ病に苦しむも克服、アマチュアでもプレー。

 

グリーンランドが生んだ名ウイング、やはり只者ではありませんね。