ポタリ・・・。
雨音がした。
ここはとても靜かなのに、なぜか雨が降り始めたことがわかった。
おじさんが死ぬとき感じた痛みとか辛さとか、
そういうのを私も経験するのかなあなんて、
意味のないことを思ったりしたし、
顔や体にひどい傷を負って、
今まで出会ってきた幽霊みたいに、
鏡に映る姿が痛々しかったりすると、
きっとおじさんが泣くだろうと思った。
でも、違う。
どうしたって、おじさんはきっと、あの日のように、
独り扉を閉めておいおいと大きな声で泣くだろう。
雨が上がった後には、
綺麗な花が咲くと良い・・・。
彼の心の慰めになるような花が、
あの窓から見える小さな池に咲くといい・・・。
そういえば、蕎麦の花言葉を聞いた時、「恋人」と即答してたなあ。
もしも私が「蓮」の花言葉を聞いたら、またすぐに答えるのかしら・・・。
蓮の花言葉にはね、「離れゆく愛」とか、「救ってください」という意味があるの。
蓮の花の命は短くて、4日ほどで外側から花弁が散って落ちるのですって。
そして、救ってくださいっていうのは、助けてっていう意味じゃなくて、
仏教の用語で「迷いのない心の安定の地へ導いてください」という意味なの。
私の愛はまるで蓮のよう。
離れ行く、すぐに一度は散りゆくけれど、
また時が経てば出会えるはず。
私にはもう迷いはなく、あなたという心の安定の地に向かう事だけ考えているから・・・。
だから、窓の外に咲く蓮をあなたが見て、
私のことを思い出して、待ってくれたらって思うの・・・。
我儘・・・。
わかっているけれど。それでも今は旅立つね。
神様に、早く私を生まれ変わらせてください、
とお願いしなくちゃいけないから。
おじさんはすぐに茶房に飛び込んでくると思ったけれど、
実際はしばらく時間があった。
多分・・・。しばらくは現実を受け止められずに放心していたのだと思う。
それから我に返って、現実を受け止めたら、
今度はどうしてもっと注意して、私について回らなかったのかと後悔して、
そして最後に・・・。
「なぜ、私を呼んでくれなかったのだろうか」
と思ったはず。
扉を掴んで開ける前に、再度起きてしまった現実に向き合って、
(ウンタクに心配をさせないように、笑顔で見送らなければ)
と思ったのだろうけれど、多分次の瞬間には、
(いや、この際死神みたいにここにとどまって永遠に一緒にいればいいんじゃないか)
と思ったりしたんだろう。
彼のことは、不思議と言葉を交わさなくてもわかる。
だから、多分、離れていても、時が過ぎても、
私を待っていてくれる限りは、私は彼を見つけ出せるはず。
死神さんは、そんなことを考えている私を横目で見ては溜息をついて、
いつもおじさんが入ってくるのであろう扉を振り返ってた。
多分、誰よりも私が一番落ち着いていた、と思う。
おじさんは、それでも勇気を振り絞って現実に向き合うことにした。
(おちつけ、一番ショックなのはウンタクのはずだ)
と、自分に言い続けただろうけれど、現実は上手く行かなかった。
(何かの間違いかもしれない、そうだ、あいつがやらかしたんだ!)
と、思い直してみたけれど、勢いよく開けた扉の向こうには、
いるはずのない私が居た。
ごめんね、おじさん。
約束するから。
ちゃんと私がおじさんを見つけるから。
ここで私を待っていてね。
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