Tさんとの交際もうまくいっていて、

去年に比べると体調も良いと思って過ごしていた。

 

Tさんは時々泊まりにも来た。

私の手料理を気に入ってくれて、

まさに運動部の男子高校生のような食べっぷりだった。

 

幸せだった。

 

 

しかし、雨が降ると微妙に頭が痛くなる日があった。

 

そして、去年出した指定難病13(視神経脊髄炎)の結果も届いた。

 

結果は診断書の点数は十分足りていたが

金額を満たしていないために却下。

 

診察日に脳神経内科の先生に結果を話したら

かなり納得がいかなかったらしく

 

国の医療保険の担当に直接電話をしてくれた。

 

先生曰く

 

「困ってる患者がいて、

病気の進行を止めるための薬を使いたいのに

多額の借金して悪化してから認めますよと言ってるものだからね。

今後の医療のためにも抗議はしなくちゃ!」

 

との事。

今までの先生はそこまでしてくれなかったので

感謝しかなかった。

 

ある程度、先生が担当と話した後、

私に今回却下された理由を教えてくれた。

 

 

簡単に言うと

診断書としては申し分ないが

特定医療費受給者証をもらうためには

毎月33333円以上の医療費が3ヶ月かかったという領収書がないと

認可が降りないとの事。

 

私はSLEの特定医療費受給者証で治療を受けていたので

入院しない限り、その金額に満たなかった。

 

法律で決まっていてこのシステムは変えようが無いと言われた。

 

先生は

 

「方法はいくらでもある。もう少しステロイドで頑張ろう!

でも私の目標は脱ステロイドだから。

ふーもさんも諦めちゃだめだよ!」

 

と言ってくれた。

 

 

そして、翌週にまた病院に行き

SLEの進行状態を確認するための血液検査をした。

 

結果は先月と同じで安定していた。

 

正直、頭痛が気になっていたので、

数値を見て安心した。

 

 

しかし、その日は神経眼科の予約も入っていて

色々と目の検査をしたが、

神経眼科の先生に言われた言葉は

 

「目の光をとらえる速度が急激に落ちてるから

このまま低下していったら、パルス療法かもしれない。」

 

自分ではまったく分からなかった。

 

「パルス療法は嫌です!またボロボロになっちゃう。

もう太るのも嫌です!」

 

私は去年・一昨年とステロイドパルスをしてその度に

努力して今の状態まで自分の見た目を戻してきた。

骨の状態も骨粗鬆症手前と言われていた。

 

「でも、この落ち具合は

正常な方の目も将来見えなくなってしまうかもしれないんだ。

右目の見えない範囲も先月より広がってるんだよ…。」

 

「!!!」

 

ショックだった。

 

色々我慢して、仕事も減らして、健康にも気を使っていたし

SLEに関連する数値もずっと問題にのに。

 

 

将来、両目が見えなくなる可能性が私にはある。

 

 

「あの。先生。私、2度、右目は失明したので

右目がまた見えなくなる覚悟は出来てました。

でもステロイドパルスは嫌なんです。

もう少し、頑張らせてくれませんか?」

 

先生は少し困った顔をしていたが

 

「分かったよ。

それじゃあプレドニンの量を増やすのはいいかね?」

 

その問いに私はうなずいた。

 

「でも、それでも悪化してくならパルスだし

それが効かないと血液交換だから。」

 

 

SLEの血液検査のデータがずっと良かったので

なんなら、今日も調子良いと言われていた分

いっきに地獄に落とされた気分だった。

 

 

私は気持ちが落ちた状態で処方箋をもらいに行き

薬局を出た後、お母さんに電話をした。

 

「お母さん。今、病院終わった。」

 

「あら、おつかれさま。」

 

電話越しから聞こえる元気なお母さんの声。

 

「あのね。今日、SLEの検査結果は良かったんだけどね。

目の方が悪化してるみたいで…。もしかしたら

また入院になるかもって。でも入院したくなくて。」

 

「うん。」

 

「ステロイド使って回復が追い付かないと健康な方の目も

見えなくなるかもしれないって。

頑張って良くなったと思ったらまたこうなって。

本当にごめん。」

 

涙が出てきた。

 

それに気づいたお母さんが

 

「ふーもちゃんは若いから大丈夫。

お母さん。同じ年頃の時に癌になった事あるでしょ。

あの時、胃が破裂しててね。ステージ4だったけど

まだ生きてるし働いてるし、胃がなくてもご飯食べれるでしょ。

だから、ふーもちゃんも諦めないで。」

 

と励ましてくれた。

 

「でも、このままステロイド使い続けると

白内障にも早くなるし骨も弱いままだし

普通の人より早く死んじゃうかもしれない。

今でも、まともに働けてないし…。」

 

私は今まで言わなかった弱音をたくさん言っていた。

そうしたら、お母さんから

 

「その時は、お母さんもお父さんも面倒見てあげる。

今、頑張って頑張って我慢もして

私達が生きてるうちに良い方法が見つかってくれればいい。

それまでならふーもちゃんくらい面倒見れるから。」

 

「…ありがとう。」

 

落ち込んでた気持ちが回復してきた。

 

「お母さんだって癌を克服して、

食道も胃も腸も足りないこの体で

今も上手く付き合ってるからふーもちゃんだって大丈夫!」

 

最後まで励ましてくれたお母さん。

 

この後、お父さんからも電話がありサポートできる事はするから

仕事を減らして体を安静にしろと言われた。

 

迷惑かけたくないという気持ちが

家族なんだから甘えてほしいとも言われた。

 

ただただ。両親には、ありがとう。

という言葉しか思いつかなかった。

 

 

 

 

そして、アパートに帰った私はある決意をするのだった。