あっしの暮らしについて書いていきます
余命半年といわれ、母親を家に連れて帰る決断をし、家族協力の下
介護がはじまったのは、もう4年も前のことです。
通院の病院で脳出血になり、発症10分以内に救急措置をしてもらえました。
「帰りは、どこのランチにしようか」そんな会話をしながら、出かけた朝なのに、午後にはICU
集中治療室といわれるとこです。
母は、そこに10日ほど入っていました。
疎遠になっていた親戚に連絡して、職場にいる家族に連絡して、
どたばたの日々がはじまりました。
集中治療室にいるというのは、命が危ないことですから、母の仲良しにも連絡しました。
見慣れた母の体形は、でぶです。
その上、甘いものやこってりしたものが大好きでしたから、半端ない高血圧でした。
人の話を聞かない、すぐにヒステリー起こすタイプでした。
いつのまにか乳がんになっていて、退院して、抗がん治療に通院していた時に
倒れたのです。
ICU、、消毒してから、靴を脱いで入っていく救急措置室、、ナースとドクターが
交代しながら休みなくそこの患者のデータを見てくれるところ。
家族の中で、こういうことが起こるとは、思ってもみませんでしたから、
それから毎日、緊張をしいられました。