今だったらパワハラ?教員バレー大会で優勝するために夜の特訓に強制参加! | 元中学校教師が教える学校のウラ話

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公立の中学校で25年間、勤務していた私が「クラス替えの仕方」「修学旅行」「部活」「未納」「モンスターペアレント」「学級崩壊」「いじめ」「不登校」「人事異動」など、今まで話すことができなかった、学校のウラ話をお伝えしていきます。

体育校長の力で学校がバレー教員だらけに!

 

1.教員バレー大会で優勝を目指す?
2.毎日の強制夜練習が始まった!
3.20分飛びまくり、20分ボールをぶつけられ続ける!
4.特別支援学校チームに敗れ準優勝
5.体育校長の力で、翌年、バレー経験教員が大量赴任!
6.専用コーチについてブロック特訓!
7.市区町村大会に出場するも準優勝
8.都道府県の教員バレー大会に優勝するための人事?
9.日本代表の試合が行われる体育館が会場!



1.教員バレー大会で優勝を目指す?

教員になった最初の年の9月。

体育の先生でバレー部の顧問の山田先生(仮名)が、職員会議でこう言いました。

「今年は、教員バレーの大会に申し込みをしました。」
「みんなで優勝を目指しましょう。」

最初に勤務した都道府県では、教員の球技大会を大々的に行っていました。

地区で予選を行い、優勝したチームは市区町村の大会に参加することができるようになります。

そこで優勝すると、市区町村の代表となり都道府県の大会に参加することができます。

全国大会はないのですが、都道府県の最強学校を決める大事な(?)大会です。

大学を出たばかりの若手で身長が185cmある私は、当然、山田先生にこう言われます。

「部活が終わった後、夜練を毎日2時間やるから!」


2.毎日の強制夜練習が始まった!

その日から、毎日、部活が終わると放送が流れるようになりました。

「今から体育館で教員バレーの練習を行います!」
「用事のない先生!参加をお願いいたします。」

「用事のない先生」と言っていますが、若手の私は当然、強制参加です。

イヤイヤながら私は体育館に向かいます。

集まった先生は10人です。9人制バレーなので、ギリギリです。

背は高いのですが、バレー未経験者の私の練習をみた山田先生は私にこう言います。

「西川ちゃんは、背が高いからブロック要員ね!」
「9人制はローテーションしないから、ずっと真ん中で飛び続けね!」


3.20分飛びまくり、20分ボールをぶつけられ続ける!

ブロックの練習はとてもハードでした。

山田先生が他の先生を指導している時は、私はネットの端っこに行き、ひたすら真上ジャンプをさせられました。

20分ほど、真上ジャンプをさせられていると、今度は山田先生に呼ばれこう言われます。

「手を上げて!」
「もっとピンと!」
「力を入れて!」
「行くぞ!」

そう言って山田先生は、1m前から私のピンと伸ばした手に向かってアタックを行います。

「力が足りない!」
「当たる瞬間に力を入れる!」
「最初はいたいけど、慣れれば大丈夫!」
「さあ、いくぞ!」

今度は20分間、連続で手にボールをぶつけられるのです。


4.特別支援学校チームに敗れ準優勝

1ヶ月後。

地区大会がありました。

その学校の地区には、特別支援学校があります。

特別支援学校は、先生の数も多く、若い先生も多くいます。

当然、私たちのように10人の少数精鋭(?)ではありません。

運動神経が良く、活きの良い若い先生がたくさんいます。

結果、その年は地区大会準優勝となり、市区町村大会には参加することができませんでした。


5.体育校長の力で、翌年、バレー経験教員が大量赴任!

実は、少数精鋭(?)の10人の中に、校長と教頭がいました。

校長は体育の先生でしたが、教頭は家庭科の先生でした。

体育の先生たちは、負けず嫌いの先生が多いです。

実際、山田先生と校長は準優勝をとても悔しがっていました。

その悔しさからか、翌年その学校に赴任してきた先生6人のうち、3人がバレー経験者の先生でした。

その中には、新しく赴任してきた教頭先生もいました。

教員時代、バレー部を全国大会につれて行ったことがある有名な先生でした。


6.専用コーチについてブロック特訓!

その年の教員バレー練習は、昨年よりも1ヶ月以上早い、夏休みから始まりました。

練習時間は変わりませんでしたが、男女のバレー部員も加えて行うことになりました。

もちろん、男女バレー部の顧問が保護者会に許可をもらい、参加可能な生徒が部活終了後、教員バレーの練習にコーチ兼練習相手として参加するのです。

私にも専用のコーチ(生徒)がつきました。

男子バレー部のアタッカーの子です。

中3でしたが、身長は183cmとほとんど私と同じ身長です。

もちろん、その年もブロック要員でしたので、練習はジャンプと拷問(手を伸ばしてそこにボールをアタックされる)だけでした。


7.市区町村大会に出場するも準優勝

その年は、地区大会で特別支援学校チームを倒すことができ、優勝して市区町村大会への切符を手に入れました。

しかし、市区町村大会では力及ばず、準優勝で都道府県の大会には出場することができませんでした。

ちょうどその年、退職を迎えることになっていた校長はとても悔しがりました。

そして翌年、教員バレーに優勝するため(?)の人事を敢行したのでした。


8.都道府県の教員バレー大会に優勝するための人事?

私がその学校に勤務をして3年目。

その学校はバレーに特化した学校になっていました。

①    校長:体育教員 専門:バレー
② 教頭:体育教員 専門:バレー
③ 教務:数学教員 専門:バレー 女子バレー部顧問
④ 山田先生:体育教員 専門:バレー 男子バレー部顧問
⑤ A先生:社会教員 専門:バレー 女子バレー部顧問
⑥ B先生:国語教員 専門:バレー 男子バレー部顧問
⑦ C先生:数学教員 専門:バレー 女子バレー部顧問
⑧ D先生:体育教員 専門:バスケ
⑨ E先生:体育教師 専門:野球
⑩ 私:ブロック担当 専門:演劇

レギュラー10人の内、バレー専門教員が7人、体育教員が2人、ブロック担当が1人のチームができあがりました。

この年、男女バレー部の顧問はあわせて5人でした。

しかし、男女バスケ部の顧問はあわせて1人。

男女卓球部の顧問もあわせて1人。

その他の部は、基本1人顧問でした。

副顧問がいたのは、バレー部を除いては野球部だけだったのです。


9.日本代表の試合が行われる体育館が会場!

3年目の大会では、地区大会、市区町村大会を難なく勝ち上がり、都道府県大会出場の資格を手に入れることができました。

3年間の練習の末、都道府県大会の出場を手に入れたのはとても嬉しかったのですが、それ以上に私が嬉しかったのは、都道府県大会の会場の事でした。

都道府県大会が行われる会場は、プロの試合が行われたり、日本代表の試合が行われる大きな体育館でした。

バレー素人の私は、TVで見たことのある体育館で試合ができることに満足していたのです。

ちなみに都道府県大会の結果は、堂々の優勝で当道府県内最強学校の称号を手に入れたのでした。

今でも、トロッフィーについているペナントには、バレー素人の私の名前もあることでしょう。

 

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