特別支援学級から普通学級へ | 元中学校教師が教える学校のウラ話

元中学校教師が教える学校のウラ話

公立の中学校で25年間、勤務していた私が「クラス替えの仕方」「修学旅行」「部活」「未納」「モンスターペアレント」「学級崩壊」「いじめ」「不登校」「人事異動」など、今まで話すことができなかった、学校のウラ話をお伝えしていきます。

特別支援学級から普通学級へ


普通高校に入れたい!
「小学校では特別支援学級に通っていたが、中学校からは普通学級に通わせたい。」
「特別支援学校ではなく、普通科高校に入れたい。」

こうおっしゃるお母さんたちは少なくありません。中学1年の担任をしていた頃、私のクラスにも何度かこのような生徒が入ってきたことがあります。私は特別支援教員の免許を持っていたので、保護者から「西川先生のクラスにしてほしい」と指名されたこともありました。

幸い、私のクラスに入った生徒たちはいじめられることもなく、不登校にもならず、普通科高校に進学していきました。もちろん、高校を中退したりもしていません。


普通学級に入り不登校になってしまった子、ならなかった子
ある学校では、小学校の時に特別支援学級で中学から普通学級に入ってくる生徒が2人いました。その2人のうち1人は担任頭(担任として他のクラスの担任をフォーローする役目)をしていた私のクラスに入り、もう1人は、私の次にベテランのA先生のクラスに入ることになりました。

結果から先にお伝えすると、私のクラスに入った雄大さん(仮名)は3年間登校し、親と本人の希望通り普通科高校へ進学しました。しかし、A先生のクラスに入った拓也さん(仮名)は入学後すぐに不登校になってしまい、卒業まで学校に来ることはなく、高校進学をすることもできなくなってしまいました。

なぜ、そうなってしまったのでしょう?私の対応とA先生の対応を比べながら、考えていきたいと思います。


支援と対応の基本方針共有(私の対応)
私は、4月の最初に雄大さんのお母さんと話しをしました。そこで、私の基本方針を伝えました。それがこれです。
①    中学3年間で、他の生徒同様に活動できるようにしていきたい。
②    高校入学後も中退することなく、続けられるようにしていきたい。
③    提出物など面倒なこともがんばらせたい。
④    学習に関しては、できる限りフォローをするが、成績はすぐには上がらないことを理解してもらいたい。
⑤    1学期は学校生活の変化についていけない可能性が高い。しかし、安易に欠席を許さないで、学校に相談をしてほしい。
⑥ お互いに連絡を取り合い、協力しながら対応していきたい。

上記の内容に関して、お母さんは同意をしてくれました。ただ、心配事が2つあることを教えてくれました。
① 友達をつくることができるのか?
② いじめに合わないか?

お母さんが心配する気持ちはとてもよくわかります。「お母さんに安心してもらいたい」「一緒に支援と対応をしていきたい」と思った私は、お母さんに「友達を作りやすくする学級運営」「いじめのないようにする学級運営」についてじっくり話しをしました。


支援と対応の基本方針共有(A先生の対応)
私は担任頭として、A先生に私がしたことを話しました。しかし、A先生はこう言います。
「普通学級に来るんだからそれなりに覚悟はできていると思います。」
「ダメなら特別支援学級に戻る道もありますし。」
「家庭訪問の時に話しをするので大丈夫です。」

私の経験上、子どもの将来を考えて大きな決断をしたお母さんですが、「この決断が正しかったのか?」と常に不安に思っています。だからこそ、その不安を取り除き、「一緒にがんばりましょう!」の一言をかけることが必要だと思っていたのですが・・・・。

しかし、A先生はこう断言しました。
「それは必要ないです!」


特別な支援をしていないように支援をする
雄大さんが最初につまずいたのが宿題でした。漢字の書き取りや英単語の練習などは何とかなるのですが、数学の問題はお手上げです。お母さんも数学が苦手なようで家で教えることができないとのことでした。

雄大さんは自分で宿題をできないことを恥ずかしいと思ったようで、係の子が提出物を出すように促しても「家に忘れた!」と言ってごまかしていました。このいいわけが3回続いた時、私は動き出しました。

同じように宿題を出していなかったAさんとBさんと雄大さんを帰りの会の時に注意します。その後、3人を相談室に連れて行き、その場で一緒に終わっていない宿題をやりました。

これ以降も定期的にこの放課後の宿題会を続けたことにより、雄大さんは数学でも英語でも分からない問題があるときは私に質問するようになりました。さらには、私だけでなくAさんやBさんにも聞けるようになっていきました。

ただ、小学校まで特別支援学級にいたため、普通学級の授業についていくのはとても大変なことでした。しかし、私や仲間との定期的な宿題会が功を奏し、入学当初、5教科の合計が30点程度だった雄大さんですが、1年後には5教科合計で100点ほどとれるようになりました。(中学3年生の時には、5教科合計200点近くとれるようになりました。)

授業が分からないと言って、欠席することも最初はありました。しかし、お母さんがすぐに私に相談してくれたため、雄大さんにあった支援を一緒に考えることができました。そのおかげで、連続して休むことはありませんでした。

雄大さんは私とお母さんが連絡を取っていたのを知りません。ただ、お母さんと私は、2人で相談をして、雄大さんに最も合った声かけをしていたのです。
雄「今日、疲れたから休みたい。」

母「中学校に入ってやることが増えて大変だよね。疲れるよね!」
母「今日は、先生にかぜをひいたって言っておいたよ!」
母「でも、明日はがんばって行かなきゃダメだからね!」

翌日、雄大さんが登校したとき、私の声かけはこれです。
私「カゼ大丈夫か?」(終わり)

母の言葉と私の一言で、雄大さんはこう思ったそうです。
「僕が登校を渋ったことを先生は知らないんだ!」
「お母さんは、本当に言わなかったんだ!」
「お母さん、ありがとう。」


特別扱いをしたA先生
拓也さんも同じように、中学校の生活リズムや学習の難易度についていけない状況が見え始めました。

それに気づいたA先生はこのような対応をとりました。
「漢字や英単語練習のやったときに出せばいい。」
「数学など分からない問題はやらなくていい。」

この対応を受けた、拓也さんは自分にできることをがんばってやっていたそうです。しかし、クラスの仲間はその対応をこう思っていたようです。
「拓也さんだけ、宿題をやらなくてずるい!」
「先生も拓也さんだけ怒らない。ずるい!」

拓也さんに直接、文句を言った子もいたそうです。中学1年生なので、正直な気持ちを言ってしまうこともあるので、その子を責めることはできません。

 

そのときにA先生はこう言ったそうです。
「拓也さんは特別支援学級からきたんだからしょうがないでしょ!」


「友達ができた!(雄大さん)」
宿題などの提出物を期限を守って出せるようになり、授業の内容も徐々に理解できるようになってきた雄大さんはどんどん明るくなっていきました。私も、エンカウンターやSST、ライフスキルなど、人間関係を円滑にできるきっかけづくりを定期的に行っていたことで、雄大さんを含む私のクラスは全員がとても仲良くなりました。もちろんいじめもありません。

中学校生活の様々な場面で努力をし、それを私やお母さんが褒めたことで、自信をつけることができた雄大さん。クラスのムードメーカーの1人となって学校生活を楽しむようになりました。もちろん不登校になることもなく、中学3年間を過ごすことができました。


「仲間はずれになった。(拓也さん)」
もともと真面目で何事もコツコツ行うことができる拓也さんでしたが、先生の特別扱いやクラスの子の中傷により人間不信に陥ってしまいました。病院に通ったりもしたようですが、効果は現れず。結局、中学校の3年間を不登校として過ごすことになってしまいました。

「漢字や英単語の練習はやったときに出せばいい。」
「分からない問題はやらなくていい。」

これらの対応が必ずしも間違っているわけではありません。ただ、「この対応がその子にあっているのか?」「このクラスにあっているのか?」などしっかりと吟味する必要はあると思います。

不登校になってしまった拓也さん。その拓也さんについて、A先生は職員室でこう言っていました。
「最初から特別支援学級に行っていればよかったのに。」
「普通学級はあの子には無理だったんです。」

 

 

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