承認欲求は欲である | 人間の外界、内界の構造は同じ。自を知って他を知る。内面を見つめ病気を治す『女性専門整体院 M-Style』

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誰もが病院に行かなくても自分自身でケア出来ます。


資本主義社会を生き、その中のある程度の位置といえば、メンター、CEO、インフルエンサー、などのカーストトップ。それになる為には、マズローの5段階欲求の3番目である承認欲求は重要だ。

その承認欲求もSNSが盛んになり、コロナという時代背景もあり、誰もが幾つかのポータルアカウントを持つことになった今、各分野で新たなインフルエンサーとして、その位置まで昇ることは難しいのだと思う。

YouTube然り、X然り。
古参のyoutuber、インフルエンサーのみが目立っていて、カーストが出来上がっている。

その承認欲求も所謂「欲」でしかなく、欲=悪と認識している私にとっては、他者に認めてもらう、他者に評価されるのを避ける傾向がある。

承認欲求には自由が拘束される性質があるのだ。

常に周りの目を気にし、言動に注意し、行動しなければならない。
その場に見合った行動をしなければ認めてもらえない不自由が自身の自由を阻害する。

しかし、自由を獲得するまでにおいて、自分に対する自分への信用、信頼性を得る必要性があり、倫理観、道徳的なもの、人としての心が根底になければ、自分さえも信用できない。

他者と関わる社会的言動の中で、自分に自信がつくまでの段階で承認欲求は必要だと思う。
人は一人ではない。他者という関係において自分だと認識できる。

よく、人は一人では生きていけないと耳にするが、人には必ず、因縁・因果という関係性があるのだ。

自身の生活する上でも、食べる物、着る物、生活用品ほぼ全てが他者由来のものである。
それらも、誰かが認めたから、自分が使えるのだ。

その循環の方がとても大切に思う。

先に書いたように、その段階を過ぎた次の段階の承認欲求から「欲=悪」となる。

貨幣交換や利益を目論む段階だからだ。
人が多く集まれば、自分の”自信“を通過して、自分は人気者だ、自分は人のためになっていると、幻想を抱くようになる。メサリヤコンプレックス、まるで救世主になったかのように、人間の真理から外れ、欲を満たす為のコンサルやサロンなどを開きだす。金欲、モテ欲に溺れ、それを満たすことで脳内がふわふわで充満する。

その人気が途切れたらどうなるか。
ふわふわだった脳内がギスギスとなり、精神状態も悪化し、苦悩苦痛にまみれることだろう。
欲は麻薬と同じ。昇り詰めたら、落ち込むのだ。昇っていても落ち込んでいても、カラダは病気になる。頂点の時は、落ちる不安が病気を伴う。


もう一つ言いたいことは、承認欲求は満たされた段階で停滞する。流動的変化を止める。
人は満たされると思考しなくなる。このままでいいと思ってしまうのだ。そのままの維持など長くは継続しないのに。維持とて停滞なのである。

承認欲求は認められると、認められたその事しか追求をしなくなる。専門性は養われるかもしれないが、自身としてのバランスが悪くなる。

また、その場の仲間の所で満足して、井の中の蛙となり拘束される。自分の正しさの追求もなくなる。
常に周りは変化している為、気づいた時にはもう周りに人が居なくなっているかもしれない。


私には欲はない。
承認欲求もない。

社会的正しさではなく、人間の正しさ、人間の真理、自分の正しさを絶え間なく追求している。

そうして自分という人間の構造を深くまで知ることによって、他者の構造、社会の構造も知ることが出来る。

自分でもその構造や想いが見えてくるが、意識した視点の意識体がエーテル(想い)として、自分に入ってくるのだ。

他者の想い、集合意識の想い。
それらは、この社会と自身の身体との狭間において、苦痛と苦悩で踠いている想いだ。