私自身は数年前まで一般論の常識内の中で過ごしていた。
家族、周囲の人、TV、小説、映画などの平均値を取って、喋る時も自分の意見というものはなく、大抵相手の意見に賛同して、会話を成り立てていた。特にそれで良かったし、不満はなく幸せだった。
学生の頃のバイト、社会人になってからの会社、趣味とあらゆるコミュニティの中で、コミュニティが違えば、そこならではの違った常識があって、いつもそれを気にしながら、トップや直属の言う事を素直に聞いていた。
出る杭は打たれるし、責任を任される事も嫌だし、また反対に出来ない人でいるのも嫌で、上にも下にも出る事を恐れて、吐出する事は出来ないでいた。
それが変化し出したのは、健康や整体など、人について学び始めた時だった。
特に西洋医学に嫌悪感を抱く様になり、西洋医学はいつから始まったのか?と気になって、超絶苦手な歴史を勉強する様になり、そこは今まで習って来たことや自分が思っていた常識とは全然違く、かけ離れている事に気づいた。
何万年〜何千年も続いた、縄文時代やその前の狩猟の時代の方が人間らしいのではと思う様になってきたのだった。
歴史上で一番怒りを覚えたのは、明治維新とGHQだが、ここで私一人怒っていた所でどうにもならず、まず自分に出来る事をしよう!と
「病院に行かなくても誰もが自分で治せる様になる社会を作る!!」
とクソでかい目標立てて意気込んでいた矢先に、今度は新型コロナ大旋風が到来した。
みんな怖がっているが、ちょっと調べれば、ただの風邪というデーターがあるし、エボラ出血熱レベルだったら安倍総理もさすがに自粛の緊急事態宣言どころか、市町村や自治会レベルでの封鎖をしてるだろうと思って、私は呑気に自由に行動していた。
TVを5年間見ていない、ネットからの情報を自分から取りにいく私は、TVからの洗脳はない状態。
でも私の地元の周りの人達は違った。
7年来の親友からは「緊急事態宣言が出てるのになんで非常事態が出てる東京にいるの⁉️」と言われ、4月以降その親友とは一度も会う事はなくなった。
地元の女子会グループの友人達からも同じ対応。
親には、常識がなっていないと、
「あんた一人だけでそんな事言ってても他の9人が同じ意見だったら、そっちが常識になる」と怒り口調で言われる。
子供からは、Twitterのフォローを解除されブロックされる始末。笑…(家では普通に話してます)
ちょっと待って⁈
これどっちが洗脳されてるの⁈
この頃は人としての感覚で、TVで報道されている事は真実ではないと分かっていたから、10人中9人が何か変な宗教に入っているのか?と、自分以外の全員が敵の様に思えた。
自分が洗脳されてるのか?とも自分を疑ったが、自分への疑いを晴らす為、手当たり次第エビデンスやデータをあさり、より一層真実を突き詰めた。誰に言われても真実を突きつければ絶対勝つ!という自信があった。
でも真実を周りに話したところで、周りはあまり信用してくれない。長年付き合っている家族、友人はTVを信用するのだ。とても辛く、メディアへの怒り、疎外感、自分ではどうにもならない憤りがずっとあった。
そこで分かった事は、
「真実は決して人を幸せにしない」
…と言う事が今回の新コロで勉強させて貰った一つだ。
もう一つ言いたい事は、洗脳されている間は幸せだと言う事。自分の選択に揺るぎない信用があればそれは真実でなくても騙されている事にはならないという事。
その人が幸せならば、他人は「あなたは洗脳されて騙されている」と容易に言ってはいけないと私は思う。
私はこの新コロと最近の大統領選の期間中常に、
「洗脳・常識・真実」
の三つのキーワードが頭にこびりついていた。
整体院を開業しながら、整体の勉強、宇宙哲学の勉強、量子、潜在意識の勉強をしながら、そこから答えを必死に探していた。
怒りや憤り、疎外感がありながらも、私と同じ意見の仲間が上記のコミュニティの中にいた。
月に数回別の場所(ほぼパソコンの中w)、別の仲間に会うが、そこではみんな同じ事を勉強し、
「人という物」
を追求している方々に会えて、とてもありがたく思った。
自分と同じ意見の人がいると思うと本当に幸せだった。
そして真実は必ず表に出ると私は確信している。
悪い想念、不正、虚偽が今浮き彫りになってきていてそのうち滅び、悪いものは精査され、完全に真実だけが残る訳ではないけどある程度淘汰されていくと確信しているので、今は落ち着いて傍観している最中。
怒りも憤りも疎外感も、あの時以上にはならないと思うと、不安もなくなり、またポジティブな自分に戻って、自分に課せられた事だけやるしかないと思っています。
洗脳・常識・真実について書きたかったのだけど、新コロと大統領選の自分の意見を抽象的に書いてみたになった感w