【雄勝中 学習ボランティア】たく塾 1日目
どうも。ごーです。
仙台なう。ということで、今私は陸前高砂という街のボランティア団体の長の家に泊まっています。
今日から一週間
雄勝中学校
(校舎は津波でながされてしまったので、今は高台にある高校を間借りしている)
のサマースクール"たく塾"の学習ボランティアとして、人生初の東北入りをしました。
思えば関東よりも日本地図の上にはいったことなかったな。
朝6:30、仙台到着。
あまりにも人がふっつーに生活してる。電車の窓越しには瓦屋根をブルーシートで覆ってる家が何軒がみえる。
それでもみんな、ふっつー。
それから中学校のある場所まで車で1時間半。
途中、写真をとりそこねてしまったけど、津波にのまれた地域をおもいっきり通りました。
ポカーんとしてしまって、写真とれんかった。
建物の一階部分が骨組みだけ。
ヤマダ電機が一階部分ボロボロ
民家の屋根近くに水がきた線がみえる。
「うわうわうわ」としか言えず、ひたすらあわあわ。
明日は記録に残せるようにしよう。
そして雄勝中に到着。
めちゃめちゃ小高い丘の上にある高校を間借りして学校をやっているよう。中に小学校もはいってた。
ちなみに雄勝中の生徒さんのほぼ全員(51人ほど)は津波で家を流されてしまったという話を聞いた。
そんな話を聞く前に、生徒さんたちにばったり会った。
「こんにちは!!!!」
今まで会った中学生の中でいっちばんでっかい声であいさつをされた。笑
異常なまでの元気っぷり。被災したなんてとてもじゃないけど思えない。
廊下
保健室
教室
制服、ジャージ姿の生徒
なんら変わりない学校風景。
ボランティアさんと呼ばれる声
たく塾開塾式
校長先生のお話
ここで 私は被災地に来たんだ という実感が湧いた。
校長先生のお話のなかで
津波でみんな被災しているけどそれを理由に夢をあきらめるな
という強い言葉にとても心うたれた。
みんなが本当に素直で聞き入っている。
私に大きいことは言えないけど、それこそ、この大きな震災や津波で被災したことをみんなで乗り越えた、この雄勝中のみんなは本当に見えない強い絆で結ばれているんだなってことをこのときに思えた。
みえないつよさ。
伝わってくるの。
部活にも参加した。
8年ぶりに女子ソフトテニス部にを参加。
懐かしの♪ ファイトファーイトー 笑
…私の腕前の話はさておき、この部活の体験もおそろしく衝撃だった。
顧問の先生にお話を伺ったのだが…
・部員全員津波被災
・なかにはお母様がまだみつかっていない子がいる
・ラケット全部流された いまのラケットは支援物資
・コートは2ヶ月前、荒れた雑草地の状態から、草むしりから始めて、自分たちでつくりあげた。
・彼女たち、その状態から被災後の地区大会勝ち上がって県大会出場
・県大会ベスト16 惜しくも東北大会を逃す
県大会がおととい終了し、昨日先輩達が引退。
部員が4人になっての再スタートのところで参加した。
本当に、顧問の先生の生徒にかける愛情がたまらないくらいたくさんで感動した。
「中学校での思い出で部活動は本当に大きなウエイトを占める。津波で被災はしたけど、子供達は何かに一生懸命打ち込んでいる時に一番イキイキする。だから部活の場をひらいている。被災後の空白の2ヶ月があるのに、部員は県大会に勝ち上がった。しかし東北大会には行けなかった。被災を言い訳にはしたくない。新しいメンバーに対して、目標をたてて、自分は顧問として本気でぶつかっていかなきゃいけない。」
この先生、本当にアツい。
話聞いてて私、泣きそうだった
先生もふくめて、みんな抱えているものは多いけど それをいつまでも抱えていたってなににもならないから、それを強さに変えて生きているんだなって。
そしてお昼ご飯。
facebookでつぶやいたけど、一ヶ月前のご飯はこちら
一ヶ月後
今日はみんなで焼肉でした。
これは 支援物資 。
サプライズなゲストもいらっしゃって、みんな笑顔でご飯を食べてた。
「ボランティアさんもたくさん食べてください。」の言葉に、どうしたらいいかわかんなかった。
とりあえず、いつもよりも
つくってくれるひと
運んでくれるひとへの感謝
を噛み締めながら食べてた。
ごちそうさまです。
いただきます。
それから本番の授業。
手探りの状態からの英語。
教えなきゃ 少しでもわかるように教えなきゃ って思ったら、15人に対して講義形式で教えてしまった。
生徒みんなポカーンだよ 笑
かなりのエゴイスティックな授業をしてしまった。
これじゃ学力あがんない。
というわけで軽く叱られながらも頑張ろうと決意したわけです。笑
今日からの自分の成長っぷりと生徒たちの化学反応を楽しみにしながら頑張ります。
全然書ききれん!
とりあえず1日目のアウトプット以上。
雄勝最高。