こんばんは、ふみあきです。

タイトル通りすい臓腫瘍が見つかり、良くなりかけていた精神疾患が再発?したので心を整理するためにブログを書きます。

追い討ちからの追い討ち

9月に背中の腫瘍を摘出したのですが、入院中にすい臓腫瘍が6個ほど見つかったため再び手術の雰囲気が漂い始めています。昨年の1月から約1年半で4回大きな手術をしてやっと一息かと思いきや、まだまだ休まらない日々が続きそうです。


正直めちゃくちゃしんどいです。


「首の手術→半年後背中の手術」みたいな恐ろしいハイペースで4度の手術を乗り越えてきました。9月の手術に関しては入院前から不安とイライラが止まらず、入院中には軽い過呼吸になることもありました。それもこれも「これが終われば落ち着ける」という希望があったからこそ。次の手術はオーバーキルなわけです。


しかも、手術後の入院中に新しい腫瘍が見つかったので安らげる期間すらありませんでした。

じわじわ効いてうつ再発

すい臓腫瘍が発覚した時点では、取り返しのつかないような心へのダメージはありませんでした。受け入れるのに時間がかかっていたのかもしれません。


しかし、退院直後から慌ただしく検査が始まるので嫌でも実感してしまいます。万が一悪性だった場合は癌ということになります。医者がすぐに精密検査をするのも手術を視野に入れた話し合いの場が持たれるのも当然です。ただ、既に心が不安定だった僕にはこれが効きました。


ぼくのメンタルはコップ満タンにストレスが溜まっているような状態。なんなら表面張力で耐えてるくらいだったので、普段ならなんとかなるレベルのストレスでも一瞬で閾値を超えました。

​抗うつ薬再開と今思うこと

うつ病の症状が色濃くなり、少し耐えてみたけどやっぱ無理ということで精神科にかかり抗うつ薬を再開しました。元々がっつり効いてる感じではなくて辞めていたのですが、担当の先生には「今は効くか分からない薬でも頼りたい」とお願いしました。


抗うつ薬を飲んだことある人なら分かると思いますが、副作用で1週間くらい気持ち悪いんですよね。


1日目、無事にグロッキー状態。

体調が悪いとさらに不安が押し寄せて益々うつになるという悪循環で心に余裕がなくなったので、ブログという形で気持ちを整理してみました。


ぼくは自分のことを「めっちゃ不幸な人間」と思っています。うつの症状でもあるのですが、元気に過ごしていた時でもこの気持ちがチラつく瞬間があったので、割と心から感じていることかもしれません。


でも自分だけがしんどいわけではない(普通よりはしんどいと思うけど)ということは分かっています。たまに、客観的に自分よりも不幸だと思えるエピソードを探したくなります。なんか性格悪く聞こえますが「自分だけじゃない」ってことを実感したくなるんですよね。そういう人に限って前向きに生きているので、尊敬と同時に多少の劣等感を覚えます。病んでいる時ほど劣等感が強いので、やっぱりうつは病気なんだと実感します。

皆さんの苦痛が和らぎますように

心の中を書き出すと止まらなくなります。

それだけ色んなことを考えて、押し殺して生きているんだなと気付かされました。文字に起こしてみてよかったです。


ヒーリングミュージックのコメント欄で周りの幸せを願っている方々を見かけて心が暖かくなりました。自分も辛いはずなのに。だから、同じく痛みを抱えて生きている1人の人間としてこの締め方はブログとしてもいいなと思いました。


大小あれ、苦しんでもがいて生きている人の心や身体が少しでも和らぎますように。今日よりも明日がほんの少し生きやすくなっていることを願っています。

はじめまして、ふみあきです。
普段は専業でWebライター、副業でブログをしています。

 

※以前noteに書いたプロフィール記事を掘り起こして掲載しているため、デザインなどが見にくかったらすいません。

簡単なプロフィールを載せておくのでチラ見しておいてください。
実は2つ目のプロフィール投稿。今度はちゃんとした公式プロフィールを書きます(予定)。

 

【プロフィール】

  • 名前:ふみあき

  • 年齢:24歳

  • 性別:男

  • 職業:Webライター

  • 趣味:サッカー観戦(Jリーグ大好きマン)

  • 目標:持病持ちができることを増やす

  • ひとこと:切実に面白い人になりたいです。

この記事では、これまでの人生と今後の目標について紹介しています。ぼくは皆さんよりも少しだけ波乱万丈な人生を送ってきた自信があります。

拙い文章ですが、同じようにつらい人生を送っている人、幸せな人生を送っている人どちらにも届けたい想いがあって書いています。

 

プロフィールとは思えないくらい気持ちを入れた文章なので、ぜひ最後まで読んでください。

 

病気に愛されている男

 

病気に愛されている男。


なんとも笑えないタイトル。ここから自己紹介が始まるなんて誰にも予想できません(笑)

静岡県出身。12歳までは普通のサッカー少年でした。以上。

ふみあき君24歳ですよね?そのうちの半分が1行で終わりましたけど?
安心してください。ここからが本番です。

 

12歳の秋。
突然、原因不明の吐き気に襲われ学校にも行けなくなりました。精神疾患が原因とのこと。1日中吐き気でご飯すら食べられないので26.8キロまで痩せて精神科病棟に入院。本当になにもできず、ただただ寝込んでいました。

 

そこから半年で保健室登校を開始。約1年半後には普通の生活ができるようになりました。回復が早すぎて医師がびっくりしていました(笑)
機会があれば詳しく話しますね。

 

14歳の夏。
やっと普通に生活できると思ったら突然の神経痛。首に3センチの腫瘍が見つかりました。当然手術になり8時間の大手術。首の手術は1週間のベッド上安静があって、毎日泣きながら入院していたのを覚えています。

 

ここからが怒涛の手術ラッシュ。
24歳までの10年間で7回の手術を経験。後遺症で右目の網膜剥離と両足の軽度身体障害、両手の神経痛とその他たくさんある感覚の鈍さ。

23歳で障害が残ってからは、不安症という精神疾患もぶり返しました。メンタル耐えらず。

 

恐ろしいのが、まだ身体中に腫瘍が10個くらいあって今も増え続けていること。退院したばかりなのに1年以内の手術が確定しているくらい(笑)

 

これが僕の人生その1です。
かなり駆け足で紹介しましたが、今後の展開を大きく左右する体験であるのは間違いありません。

 

ネットワークビジネスに染まる

 

時は流れて19歳の冬。
ネットワークビジネスをはじめます。俗にいうマルチ商法です。

ちなみに、ネットワークビジネスをはじめたきっかけは「暇だったから」です。仲のよかった大学の友達と一緒に13万を即決で払いました。


なんなら、呼ばれてもないのに付いていって即決でお金を渡していたので、とんでもなくいいカモだったと思います(笑)

紹介者は今でも仲良しですが、やっぱりカモがネギ背負って状態だったそうです(笑)

もちろんお金目的もありました。


ねずみ講マルチも言葉すら聞いたことがなかったので、「こんなん全員稼げますけどいいんですか?」とか思っていました。リテラシー低すぎた。

 

そこから1年間ネットワークビジネスを続けた結果、借金約200万円の大失敗。引くほど稼げませんでした。それでも1年間必死にもがいて、色々なことを経験しました。貧乏すぎて200円で1週間暮らしたこともあります(笑)

 

この時期は本当にしんどかったのですが、いまとなっては悪いことばかりではありません。汚い稼ぎ方やビジネスの裏側、仕組みなどたくさんのことを学べたのは、いまにも今後にもプラスです。

 

あと、あれ以上つらいビジネスはないかなと思っています。本当にきつかった(笑)

 

お金が目的ではつまらないという悟り

 

20歳の冬。
丸1年続けたネットワークビジネスを辞めて別のビジネスをはじめました。

そこから22歳の夏まで2年半。
グレーなビジネスからクリーンなビジネスまで5つほど経験しました。具体的にはこんな感じ。

  • メアド登録のアフィリエイト

  • オンラインカジノ

  • 転売

  • 情報商材

  • インスタグラム運用

ほかにも細々としたものもありましたが、紹介しだせばキリがないので割愛します。

ネットワークビジネスにはじまり、転売や情報商材の営業、オンラインカジノなどなど。膨大な時間とお金をかけてやってきたこと。あるときから、すべてがつまらなく感じました。

 

マルチも情報商材も得するのは売る側だけです。
その業界で色んな人を見てきましたが、9割以上が損をして辞めていきます。稼いでいない人が稼いでいるふりをして情報弱者からお金をむしり取るのです。

 

実際に、存在しない投資案件でお金を集める人、人の収益画像をさも自分のものかのように披露する人、自己アフィリを教える代わりに手数料で半額もらう人。

色々な悪事が当然のようにまかり通っている現状。自分のことしか考えていない人の集まり。自分も同じことをしている1人だと知って嫌気がさしました。

 

お金以外に目的がないものはつまらない。

 

自分が嫌悪感を持っていることは気付いていたのに、お金欲しさと諦めの悪さが重なって見てみぬふりをしていました。惰性で2年半を無駄にしてしまったことを後悔しています。

そこからは、独学でWebマーケティングマークアップ言語を学んで今にいたります。

 

ここまでで人生その2が終了です。これは長編の予感。

 

ちょっと息抜き

 

最近、実家の庭に犬の生活スペース兼ミニドッグランをつくろうと考えています。

 

ぼくの実家は最寄りのコンビニまで車で15分!みたいな田舎で、基本的に外でリードを付けて放し飼いです。杭を2本打って太いワイヤーを張り、その間を自由に動けるようにDIYしています。

 

以前飼っていた犬の話ですが、移動するうちに木の枝や杭に絡まって動けなくなってしまうのです。大学時代に帰省しているときは鳴き声で気付けました。ただ、基本的には共働きなので家に誰もいなくて、ずっと動けなくなっていたんですよ。

亡くなってしまった理由もリードのせいで、家の中で飼うことに反対していた父を筆頭にかなり後悔しています。

 

それから月日が経過して、新しい家族を迎える準備をはじめています。予定では、穴を掘ってフェンスを立てて人工芝を引きます。屋根もつけて犬小屋はなしでいきたいなーと。

足が悪いので、フラフラしながら作業してます。できないところは母に外注する権利をもらいました(笑)

 

ちなみに、育てる犬は保護犬か里親募集と決めています。殺処分されちゃいますから。犬とか猫を飼いたい人は買う以外の選択肢も考えてみてください。

適当な話で息を入れてもらえましたか?
ここから後半パートがスタートです。後半は、ぼくがビジネスにこだわる理由を書いています。

 

長くなりそうな予感がするので、心の準備をお願いします!

 

国は弱者に優しくない

 

ぼくがそこまでビジネスやお金にこだわる理由は2つあります。

  • 自分の病気や障害に対する危機感

  • 自分にしかできないことの模索

まずは1つ目の「危機感」についてお話します。

僕の病気は難病指定じゃないんですよ。
24歳で7回手術して障害も残って、さらに10個も腫瘍あるのに。

なんなら10年で7回の手術です。
難病指定の病気でもそんなに手術しないですよ。治療方法もなければ補助もない。日本まじで頼む(笑)

ちなみに副腎という臓器が2つともなくてホルモンの薬を飲んでいます。これがないと、疲れやすかったり回復しにくかったりします。

国の障害者要項では


副腎の機能不全」は障害だけど
副腎の摘出」は障害じゃないらしい。

いやなんでやねん(笑)
機能不全どころか存在しないんですけど。こちとら機能する余地すらないんですけど???

 

足の障害でなんとか障害者手帳がもらえそうですが、もちろん7級(予定)。7級は最低等級で、手帳はまともに補助も受けられない飾りです。

 

年1で手術するお飾り手帳を持った障害者(精神疾患付き)。

 

こんな人材をどこが採用するでしょうか?ぼくが採用担当なら別の人を選びます。働きたくないとかFIERしたいとかではなく、個人で稼げなければ死ぬんですよ。

 

身体障害も手術の後遺症ですから、予想はできてもあらがうことはできません。これまでできていたことが急にできなくなるんです。前職も足の障害で運転ができなくなったことが原因で、退職せざるを得ない状況でした。

 

お金や職業に対する危機感。

 

ただの危機感ではないと思います。独特の感覚です。これがビジネスやお金にこだわる理由その1です。

 

ただ生きる意味が欲しくて

 

ただ生きる意味が欲しくて。
夜な夜ながむしゃらにビジネスに励んで。

元ネタがわかる人は報告してください(笑)

ビジネスやお金にこだわる理由の2つ目は、「生きる意味」を探すことです。急に哲学ですね〜。

 

ぼくは

 

「こんなつらい体験をしまくっているんだから自分にしかできないことがあるはず。というかないと困る」

 

と思っています。
つまり、自分の境遇を正当化したいんです。

 

ぼくの病気は遺伝性です。
近年話題の「親ガチャ」のはずれを引いたのかもしれません。病気以外は恵まれてますけど。

 

自分の意思では、どうしても変えられないものや選べないものがあって、それが僕にとって病気なのです。

 

だから、この人生を生きなければならないことに意味を持たせたいし、この経験が必ずだれかの役に立つと心から思っています。

そう思わないとやってられません(笑)
 

80%は自分のため、20%は人のためというのが本音です。

ビジネスやお金にこだわる理由その2でした。

 

おさらいすると、ビジネスをやり続ける理由は

  • 自分の病気や障害に対する危機感

  • 自分にしかできないことの模索

です。

 

マルチに励んで、法外な値段の情報商材を売ろうとしていた人間とは思えません(笑)
当時があるから今があるんですけどね。

 

社会的弱者の雇用を生みたい

 

ぼくの目標は「持病持ちの選択肢を増やす」ことです。

 

持病、障害、境遇、環境。
程度は違えど、世の中には様々な問題や生きにくさがあります。

しかし国も社会も助けてくれません。

 

その1つが雇用です。
会社にとって都合の悪いことはいえません。隠して入社しているからバレないように無理をします。そして後戻りできないところまで自分を追い込んでしまうのです。

 

今でこそWebライターという選択肢をみつけたものの、以前は本気で職業について悩んでいました。

 

1年以上収入0で、仕事をしようにも精神疾患と障害が邪魔をする。

しかも、実家がど田舎で車がないと生活できないような環境です。

 

隠さずにいうと、今でも親のお金で生きているんです。

これを「ラッキー!」と思える性格ならよかったのですが、あいにく自立欲が強く人に頼らない性格なのでかなりメンタルにダメージを与えています。

 

今でこそ多少の収入がありますが、食費も携帯代も払ってもらっている状況。

正直かなり不快です。自分が許せません。

 

甘えるな。無理してでも働け。

 

と何度も思いました。

この考えは大事だけど自分を苦しめてしまいます。精神疾患になりやすい考え方なので真似しないようにしてください(笑)

 

脱線しましたが、社会的弱者にとっての雇用は人生において大きな壁となります。

 

働きはじめても体調を崩してすぐに休職とか退職とかになったらどうしよう。

 

こんな不安が頭によぎり一歩を踏み出せないのです。

せっかく雇ってもらった会社や人材担当の方に迷惑をかけたくないじゃないですか。

 

家で働けるなら不安も軽減できるし経験からも離職しにくいと感じたので、在宅の雇用を生み出せないかと考えています。

 

自分の体調を考えると、全員に手を差し伸べられるほどの大事業は起こせません。ただ、小さな波はだれでも起こせるし、数人くらいには生きやすくするための環境は提供できるようになりたいと思っています。

 

夢までのロードマップ

 

最後に、夢を実現するまでのロードマップを紹介します。
具体的に5ステップを考えています。

  1. Webライターで収入を安定させつつブログを書く

  2. ブログの認知拡大とマネタイズを目指す

  3. ディレクションに回って人と仕事をする

  4. 事業展開の準備期間

  5. 事業展開と同時に起業

簡単に紹介します。

 

  1.Webライターで収入を安定させつつブログを書く

 

前職を退職してから1年間無職だった男。そもそも収入がありません。

 

障害者手帳をもらってから仕事探しをするつもりが、手術をしたので手帳発行までの期間が伸びました。そして1年以内に手術の予定があります。

就職できません(笑)
 

隠して入社しても会社に迷惑をかけるだけです。自立するためには自分で稼ぐしかないので、Webライターをはじめました。

Webライターならブログとの親和性が高いです。ぼくは、積み上がらない仕事は絶対にしません。

 

まずはスキルの積み上げと収入の安定。
そのためにお金と労力を使います。

 

  2.ブログの認知拡大とマネタイズを目指す

 

収入が安定してきたら、本業の比率を下げてブログにリソースを割きます。 SNS運用も本格的にできたら最高です。

 

どんなに本気で頑張っても最初はうまくいきません。最初のブログなんて稼げないと思っています。ここまでの5年間、散々ビジネスを失敗してきたので心構えはバッチリです(笑)

 

具体的には、オンラインサロンに入ろうと思っています。

繋がりを広げるとともに、これまで培ってきた知識や経験を行動ベースに落とし込みます。そのためにはプロの力を借りるのが1番です。

 

お金とリソースの余裕を見極めて行動します。

 

  3.ディレクションに回って人と仕事をする

 

外注に回せるお金ができたらディレクションを考えます。

 

ブログ記事を外注するもよし。新規で立ち上げるのもよし。はたまた別の媒体に乗り出すのもよし。

 

とにかく人と仕事をします。
顔も知らないネット上の人でも、友達から募集しても構いません。

ぼくは人に任せるのが苦手です。
 

完璧主義なので適当な仕事が許せません。結局自分の役割を増やして解決してしまいます。こんな状態では起業など論外。

わかっているからこそ、実際に体験して今後の自分の在り方や考え方を学びます。理屈では解決できないことがありますからね。

 

  4.事業展開の準備期間

 

ひとくちに準備といっても、やるべきことは無限にあります。最低限準備しておきたいことは3つです。

  • 収入の柱をいくつか用意する

  • ビジネスパートナーを見つける

  • ニーズを把握して事業展開の戦略を立てる

必要なのは、お金・人・戦略です。
それぞれ、1つではなく複数持つことを意識したいです。

何度もいいます。
最初から成功するわけがありません。

 

自分が思いつく程度のことは、他の起業家は何年も前に思いついて、既に捨てられたアイデアです。自分の才能は信じません。

お金のセーフティネットを張り、頼れる人と絶対うまくいくと思える戦略を複数つくります。

 

今のところは戦略やアイデアではなく「」で勝負したいと思っています。その布石の1つが、このアホみたいに長いプロフィールというわけです。

 

  5.事業展開と同時に起業

 

本格的に事業展開できるタイミングがあれば起業します。

 

ただ、起業に対して強いこだわりはありません。

 

個人でやれる範囲ならそれでいいし、色々な観点から必要だと思えば起業をします。社長とかCEOの肩書きは憧れますけどね(笑)

 

今は誰でも起業できる時代です。大人の事情で、名前だけの会社を持つ人もたくさんいます。個人的には、法人の価値や権威性が薄まってきていると感じますね。

ぼくは社長になりたいわけではないので、本当の目的を見失わないようにしたいです。

 

さいごに

 

本当に反省しています。


かつてこんなに長いプロフィールがあったでしょうか。もはや短い小説といっても過言ではありません。

 

しかも、装飾もまともにしていないので読みにくさマックスです。ここまで辿り着く人は現れるのでしょうか。

Webライティングで学んだものはなんだったのか(笑)

 

この記事を要約すると、自分に病気や障害があって普通では味わえない体験をしてきたため、それを活かしたいという話です。

 

持病持ちが不利になる世の中」に一石を投じるために「働き方の選択肢」を増やすことについて本気で考えています。

 

ビジネス的な視点を持ちつつも、同じ思いをする人が1人でも少なくなって欲しいし、当事者にしかわからない想いがあります。

誰かの人生を豊かにする手助けをしたいし、誰かの人生の登場人物になりたい(笑)

 

24歳。1年間無職の障害者。病気で年1の手術していて不安症も持っている男。それがふみあきという人間です。

 

これからも、ブログやSNSを通して社会に小さな波を起こしていきます。
この文章が誰かの心を動かして、少しずつでも波が広がっていけば幸いです。

児童精神科病棟は監獄でした

こんにちは、ふみあきです。


Twitterでゆうこすさんが精神科の話題について触れていたため、なんとなく昔のことを書きたくなりました。


児童精神科の病棟ってどこも制約が多いものなのでしょうか?少なくとも、ぼくが10年ほど前に1週間だけ入院していた病棟はガチの監獄でした笑


当時のぼくは、24時間気持ち悪すぎて何もできず体重が26.8キロになってしまったので、これはやばいということで入院を宣告されました。


そんな懐かしき記憶について掘り起こしてみますニコ


  ​病室に持ち込めるのは5冊のマンガのみ

児童精神科の病棟は、いろいろな制約がありました。覚えている限りではこんな感じ。


・マンガは5冊まで
・ゲームやカードは19時から20時までの1時間のみ
・テレビは大部屋に1つだけ


入院前に荷物検査があって、娯楽の品はすべて看護師さんに没収されます。


男の場合はゲームやカードだったのですが、女の子はぬいぐるみとかビーズ系が没収対象だったような記憶があります。


没収されたもので遊べる時間は決まっていて、指定の時間に「これで遊びたいです」という報告をするわけです。


すると、看護師さんが没収したものをゴソゴソと漁り、申請した娯楽品を手渡してくれます。


遊べる部屋も決まっていて、看護師さんの目が届く範囲、その病棟ではプレイルームと呼ばれる大部屋の中だけでした。


ちなみに、テレビもこの部屋にしかありません。


「テレビを見たければ病棟のみんなと仲良くしなさい」


ということです。

ぼくはプレイルームには行ってないのですが、毎日チャンネル戦争が勃発していました笑


  テープで補強された開かない窓ガラス

当時入院していた病棟はとても古い建物でした。


割れた窓ガラスをテープで補強していたため、隙間風が入ってくるんですよ。窓ガラスはビルのような開けられないタイプで、脱走防止?で外側に柵が設置されていました。


トイレは共用で、学校のまんま笑

きしむベッド(尾崎)


一応名誉のために言っておくと、新しい病棟を建設中でした。窓から工事の様子が見えるのですが、日中ずっとうるさい笑


覚えている限りではこんな感じです。


実際の監獄は分かりませんが、中学1年生のふみあきくんには監獄よりもやばい場所と認識されていました笑


  本気の脱走計画を立てる

当時のぼくはガチで脱走するつもりでした笑


廊下に病棟と院内の簡単な図があったので、トイレに行くたびにその図を記憶。それを覚えている範囲で紙に書き起こして院内の地図を作成しました。


窓ガラスの強度も確かめましたし、ナースステーションをくぐり抜けるために看護師さんの見回り時間も記録していました。


当時の自分すごい笑


脱走したかったのもあるのですが、なにより暇だったんですよね。遊べるものはないし、テレビを見ることもできないし、インドアの趣味は持ち合わせていないし、そもそも体調悪くてそれどころじゃないし。


結局、1週間くらいで一時帰宅。1週間で1.5キロくらい太るという課題をクリアして退院したので、脱走は未遂に終わりました笑


これは後から聞いた話で、病棟では年に数回脱走事件が起きるらしいのですが、警察沙汰になることもあったそうです。


当時の自分ナイス耐え笑い泣き


  この病棟は倫理的にどうなん?

親の同意はあったものの、当時のぼくは入院するなんて知りませんでした。


なんなら精神科に行くことも知らなかったし、親もとりあえず体重やばいということで入院させているので、家族全員よくわかっていなかったと思います。


よくわからず受診したら急に病棟に連れていかれました。その後の精神状態は、上の文章で察してください笑


こんな時代遅れの病棟は今も生き残っているのでしょうか?


協調性とか自主性とかそういうのは大人のエゴです。ぼくもこういう要素は大事だと思っていますが、あんな苦しい状況に追い込んでまで身に付けさせるものではないと思います。


1週間だからギリ耐えたけど、もう1週間あったら確実に脱走してた笑


今回は、摂食障害と診断された当時のことを思い返しつつ書いてみました。こういう場所の事情を知っている方や入院経験がある方はコメントで教えてくださいウインク