さかのぼること20年前


長女を妊娠


はじめての妊娠出産に不安もあり出産後は実家にお世話になることを決意


妊娠中から実母はアドバイスをくれた



実母『柿は体を冷やすから食べちゃダメよ』


ダメなのかーい?!

塩分じゃないんだから好きな物を食べさせてくれよー


実母はお産の経験者だから信じるよ


はい、柿は食べません!



実母『毎日お腹にサラシを巻いて温めて、絶対に冷やしちゃダメよ』


嫌だよー

今は妊婦用ガードルがあるんだし、毛糸のパンツで充分だって!


戌の日で1度だけサラシを巻いた


冷やさなきゃいいんだから


それでいい



そして、私の目がはっきりと覚める出来事があった


妊娠後期に前置胎盤が発覚し、自宅安静を命じられる


出産は胎児の安全を考慮して37週の予定帝王切開が決定



実母『お産は病気じゃないんだから毎日歩きなさい』


はいはい、また言ってんなー


スルーを覚えた私



実母『帝王切開なんて赤ちゃんが弱くなる、自然分娩できるか産婦人科でもう1度聞いてみな』



私『・・・・・』


言葉を失う


こりゃ~ダメだ



自然分娩が当たり前の時代の実母にとって、胎児と妊婦の安全性は二の次



そんなこんなで帝王切開で誕生した娘


キズの痛みに思うように体が動かない


初めて自身の体の変化に戸惑う


そして寝不足の日々


乳児1ヶ月検診まで実家に帰ることにした


実家では母乳オンリーで育てた


そんなとき、親戚の子を預かることになり実家に来た幼児


私は毎日の夜中の授乳で寝不足のため、娘とゴロゴロしてた


実母『あなたも幼児ちゃんの面倒をみなさい』


これには頭が噴火したよ


パジャマ姿で赤ちゃんのお世話してる私だよー


預かる実母も預ける親戚も

どうかしてる



実母の中では産後から動けって感覚なんだろうね



お世話になった実家から、自宅に戻り家族3人の生活がスタート



手探りの毎日は大変だったけど発見もあり楽しかった



1人目の子育ては全てが思い出に残っている

楽しかったー

幸せだったー



3人の生活に慣れてきたころ


私が歯医者に行くため実母に来て貰った


私『もし娘が泣いたら粉ミルクをあげてくれる?!』



実母『粉ミルクなんて飲ませないで待ってるから。母乳が1番に決まってる』



大泣きしてても待ってるつもりなんだ



こりゃ終わったらマッハで帰るしかない


歯医者が終わり、急いで帰って母乳をあげた



粉ミルク飲ませるから大丈夫だよ、ゆっくりしてきてー


こんなこと言ってくれたらなぁー


心の余裕ゼロの歯医者だったよ



今の子育てを尊重してくれない実母にイライラしたけど、ひとつだけ大事にしてるものがあった



それは抱っこ紐



私が赤ちゃんの時に使った、その名の通り『抱っこする紐』


亡き祖母が赤ちゃんの私をおぶってくれた抱っこ紐。ちゃんと写真に残ってるわけよー


リュックタイプじゃないよ!

おっぱいのところでバッテン✕に紐を渡して縛る昭和の抱っこ紐



最新の平成版の抱っこ紐もお出かけするときは使ったけど

昭和の抱っこ紐も使いまくった



私の娘が使ってくれるか分からないけど大切に取っておいてある



2人目の息子の名前は私が考えた


実母『その名前は私はあまり好きじゃない』



もう、いい加減にしろー!



実母を反面教師として私は見守るばあちゃんになりたい!と思ってる




今日の朝ごはん

ミニパンケーキ
ヒジキと大豆のサラダ



明日も頑張ろう!