私の大好きな母
父が忙しい人だったから母は苦労したと思う
しかし思い込みや情報に惑わされ子供である私の思いは後回しだった
私が小学生の頃、ドッジボールして遊んでて腰を痛めた
グギって聞こえて力が入らず、とにかく痛かった
家に戻り母に話す
母『若いのに腰が痛いなんて何言ってんの?大丈夫だよ』
母親に言われたら大丈夫なんだと子供なら思うよね
大丈夫だと言い聞かせて痛みが治まるまで耐えた
大人になりMRIを撮る機会があり腰椎分離症(スポーツ骨折)の後があった
医師の説明であの時の腰痛が原因だと判明する
さらに苦い思い出がある
子供のころ嘔吐した時に必ず水分コップ1杯を摂らされた
嘔吐→水分摂取→嘔吐→水分摂取
この繰り返しで体力が著しく消耗した
母いわく、脱水になったら困るからと子供ながらに言い付けを守った
まだまだある
学校で忘れ物したからという理由で横に1列で並ばされ担任の先生にビンタされた
その時に先生の指が私の眼の中に入り痛かったのだ
痛くて仕方なかったので担任に訴えたが『忘れた自分が悪い』と言われた
帰る頃には眼が充血していたため、家に帰って母親に訴えた
母『忘れ物した自分が悪い、学校になんて言えない』
眼科も行かなかった
たしかに自分が悪いけど学校の先生の暴力や正座は当たり前の時代
しかし母親には守ってもらいたかった
大人の言うことは正しいと生きてきた
必死に子育てしてくれたと思うけど、もう少し子供に寄り添って欲しかった
私の子育ては全て反面教師として、生かされている
そんな母は健在だ
大切にしなくてはと思っている
そして暴力教師は時代に合わせた教職者となり、のちに校長先生になり退職した
どんだけの児童をブン殴って来ても校長先生になれるんだね
大人の言うことは正しい、、、
とも限らないと学んだ私だった
夕飯は
豚キャベツ味噌バター炒め
(肉巻きにする予定だったが鬼滅の刃を見るため時短メニューになる)