作品のねらい

 

超越する神や天と通ずる時、人には不思議な力が宿る。

非科学は科学で説明できる時代が近づいている。課題図書『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』を読むのは、これで2回目。なぜか納得がいってしまう。

これまで自分が大切にし、実践してきたことが、この著者の執筆の内容と重なるところがある。作品の意図は、これまでの経験を記し、祈願の想いは、国境や宗教を超えることを示すことである。

 

『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』八木龍平著を読んで

 

その時、ラオスの寺院で、私はこれから始まる2年間の事業の祈願へ出かけていた。チームは、日本側の専門家とラオス側の政府職員、地域代表者、そして住民で構成されていた。ラオス山岳地帯における給水事業の本格調査が始まろうとしていた。

切り立った崖を四駆で走ること一日、集落などまったくなく、ただひたすら実施する現場へ向った。

困難な事業を始める際、日本側の関係者の中には、責任の落としどころばかり考えて真剣に取り組もうとしない海千山千の団員もいた。私は、ラオスと日本のチームが一致団結して、最初の基本調査から最後の給水施設の完成まで、共に全力を合わせて取り組むことを考えていた。

そして、地域代表者や住民の協力により、一連の事業は、これまでに事例がない住民参加による維持管理が可能な給水事業となっていった。

このような経験から、その土地の神様への祈願がどれほど大切かを悟った。

中東では、宗教指導者のいるモスクで礼拝を捧げ、太平洋諸島の国ではキリスト教会に出席し、インドではヒンドゥー教の寺院にお参りしてきた。

現地の人々の暮らし、社会、超越する神や神々への信仰を重んじることがすべての始まりだと思っている。

この祈願する姿勢は、現地の人々の意見を尊重するだけでなく、自分自身が、成功を確信し、イメージし続け、関係者を巻き込むことができるからである。

これらの経験から、やはり、呼び方は何であれ、やはり超越する何かの前で、謙虚になると、人間は、その超越する何かに大切にされる、人間側からすると、その超越するものからの力により、成功を確信できるようになるようである。

課題図書の『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』は、日本の神々、仏様を主に取り扱っているが、世界の神や神々についても、同様にいえることをたくさん指摘している。

 「青木さんの関わる事業って、どうしてうまくいくの? 」聞かれたことがある。大したことはしていないけれど、今回の課題本が回答してくれているような気がしている。