大嘗祭に反対する人達のデモのニュースを観ていて思ったことがある。
天皇制に反対する人の中で「生まれつき高貴な人とそうじゃない人がいるというのはおかしい」という意見があった。
実はピエルさんも全く同じことを考えている人間である。皇族だって同じ生身の人間、身分とか地位とか云々はさておき、人としてはみな平等であるはずだと思っている。
ただ!!
だからと言って別に天皇制に反対するつもりもないし、実際今回の一連の行事···とりわけ「即位礼 正殿の儀」や即位祝賀パレードを観た時には涙が出るほど感動してしまった。
なぜか?
おそらく···それは、ピエルさんが幼少の時から天皇制というものに慣れ親しんできたせいだろうと思われる。物心ついた時から実家の客間に大きな額縁に入れられて飾られていた、上皇様が皇太子だった頃の写真とご成婚間もない美智子様の写真を毎日見て育ち、祝日など何かあるたびごとに玄関に日の丸の旗が立てられていて···そうしていつの間にか心の中に天皇皇后両陛下の存在が深く浸透していったのだろう。。。🇯🇵
ブログでも再三言っている通り、神も仏も一切信じず、およそ信仰とは無縁のピエルさんだけど···
皇室の方々も、人という種としては自分達と何ら変わらぬ人間だと思っているピエルさんだけど···
それでも、天皇皇后両陛下の存在は大きな心のよりどころとなっている。
そもそも宗教とか信仰とかは、人類が存続していくために無意識に生み出したある種のシステムであり、そこに神も仏も存在しない。人が滅亡せずに生き延びるための、言わば安全装置、あるいはブレーキみたいなものである。
科学が未発達だった古代、太陽や月自然の脅威などは人類を超越した存在として信仰の対象であり、また、人々の手に負えない現象に対しては神という存在が必要不可欠であった。雨乞いや五穀豊穣を願う儀式がそのいい例であり、病気にかかった時に祈りで治そうとしたりするのも同様だ。また、集団生活を円滑に進める上で、犯罪を抑止するために禁忌(タブー)を作り、危険を回避するために神への畏怖を植え付ける。
個人レベルで言えば、死や病気への恐怖から少しでも逃れるため、あるいは様々な悩みや苦しみに耐えかねて信仰にすがる。天国と地獄、天罰といった考え方によって行動規範に倫理観が加わる。
正直人間誰でも、悪いことをすれば何か天罰が下るとか、他人が見ていない時でも神様が見ているから悪いことはできないとか思ってしまうものである。これはやっぱり幼少期に受けた教育の影響が相当大きいと言えるだろう。
それゆえピエルさんも、神は信じないくせに天罰の存在は無意識に考えてしまったりするのである(笑)
だから···
この先将来、科学技術がどんどん発達し、数々の謎がもっともっと解明されて、人類が神様とか超常現象とかをどんどん信じなくなっていったとしたら···
人が禁忌(タブー)や天罰を信じなくなって、犯罪に対して、自分の中のそれを抑止する気持ちが薄れていってしまったら···
そう考えるとゾッとする。。。😱
そんなわけで···
いわゆる信仰の対象となる神や仏なんてこの世には存在しないけど···
人類が滅びないための防御システムとしての宗教には、その存在価値を認めるピエルさんなのでした。。。😜
「天網恢恢疎にして漏らさず」
ぶっちゃけ、悪い奴には必ず天罰が下ると思ってでもいなきゃあ、やってられないよね。。。😁
最後に、今回のテーマにぴったりのこの曲を!!
🎵陣内大蔵『天網恢恢』
みなさん!神様はいつもみなさんを見ていますからね~!!(笑)
👁👁