一ヶ月前の出来事。 | 文の里歯科クリニックのブログ

一ヶ月前の出来事。

こんにちは、歯科衛生士の齋藤ですひらめき電球


夏も終わり、朝晩はすっかり涼しくなってきましたねニコニコ

私は暑いからとお休みしていた“ランニング”を再開しようかなぁと思いつつ・・・

重い腰が上がりません叫び

10月からはまた始めようと思っていますメラメラ


話は変わりまして・・・

先月の末に叔父が急死しました。

4年程前にも伯母が癌で亡くなったのですが

その時は何年も前から

『もぉいつまで生きられるか分からない。』

と、医者から宣告を受けていました。

そのおかげか、悲しみはあったものの心の中で“死”受け入れる準備ができていたように思います。

今回はあまりにも急でした。

母からの連絡を受けて

『何の話?意味が分からないんだけど・・・亡くなったなんておかしいでしょ。』

と、電話で母に言ってしまいました。

その後、更に自分の心の中で何回も繰り返していました。

『いや、絶対おかしい。そんなわけがない。』現実逃避したい気持ちでいっぱいでした。

居なくなるなんて想像もしていなかった叔父の死で

生きていることが当たり前ではないことを痛感しました。


母の実家(愛媛県)に到着し、葬儀場で叔父の顔を見て涙が止まりませんでした。

その後、叔母と従兄弟と顔を合せましたが何も言えませんでした。

一家の大黒柱を突如失った家族の、悲鳴に近い泣き声がずっと聞こえてました。


葬儀の間なんとなく違和感を感じていたことがあります。

悲しみでいっぱいの残された家族には

“喪主”“遺族”としてやらなければいけない仕事がたくさんありました。

たくさん訪れる弔問客の方々それぞれに頭を下げ

香典や電報の整理をし

あいさつの原稿を考え・・・

なんで一番悲しみを感じているはずの遺族が

こんなにたくさんやらなければいけないことがあるんだろう。

何もしないでゆっくりお別れさせてあげられればいいのに・・・


でも、たくさんやることがあって忙しいからこそ

自分を保っていられるのかとも思いました。

大切な人を突然失っても自分自身を失わなくていられるように

“喪主”は遺族にとって必要な仕事なのかもしれないと。


私にとって今回の葬儀は、色々なことを感じた機会になりました。

生と死がとなり合わせにあり、生きているということがとても不思議なことであるということ。

日本の葬儀のシステムが良くも悪くも“遺族”が仕切るということ。


まだ完全に消化できていない出来事ですが

時間をかけて、自分なりに受け止めていきたいです。