娘の摂食障害をきっかけに

私たちの人生は大きく転回した。

めずらしいことかわからないけど

うちの場合は、母親の私だけでなく

父親のSさんの意識も同じように変わった。

どう変わったかというと…覚醒…に近いかな昇天

あやしいね(笑)どう見ても字面が。

でもでも、そんなヤバい話じゃないよ。

少し長いけど、よかったらおつき合いください。

 

Sさんは、元々とても優しく誠実な性格で

まじめにまっとうにごく普通に生きてきた。

出会った時、たまたま白シャツは着てたけど

私には、Sさんそのものがまっさらな白色に見えるくらい

俗にいう腹黒い人とは真逆の白さを放ってた。

それは結婚してもなんら変わらない、彼の本質だった。

だからこそSさんは知らずに生きていたのかも。

自分の中に本当の自分の欲求や望みがあることに。

 

Sさんは3人姉弟の三番目に生まれた長男だった。

昭和の自営業の家では当たり前に、もしかしたら生まれる前から

跡取り息子として期待され、待望されての誕生だったことだろう。

家族や親戚だけでなく、小さな田舎の町全体が同じ空気感で

そういう環境で育ったSさんにとって

家業を継いで地元で生きることは普通のことだったし

そういう自分に疑問を感じることもなかったそうだ。

 

だけどね

私にはいつからか、Sさんが幸せには見えなかった。

幸せじゃないとも違うんだけど…なんていうか…

生きる喜びみたいのが、Sさんから感じられない 悲しい

それはとても悲しいことで、

気がつくと私の毎日も、心もとない感覚でいっぱいだった。

今思えば、合わせ鏡のように私も彼と同じ状態だったよね。

これは、あの無気力な自分を自分でおかしいと感じる少し前のこと。

 

このあと長女は病気になった。

 

目に見える幸せはたくさんあった。

はたから見たらなんて幸せな生活だ。

自分でもそう思ってた。

四十路も過ぎて、なんでもわかっているつもりで

生きていた私は

なんにもわかっていなかったチーン

娘が病気になって初めて

本当にたくさんの問いが、次から次へとあふれ出た。

 

私たちって何のために生きてるの?

幸せってどういうこと?私は本当に幸せ?

生活できればそれでいいの?

子供たちが普通に学校に行ってくれてればそれでいいの?

それのなにがいいの?それってだれのため?

自分を大切にするってどういうこと?

自由を感じるってどんな感じ?

私は何を感じて生きているの?

私の人生はだれのもの?

私はだれのために生きているの?

 

これは私の問いなのか?はじめはわからなかった。

問いは私の頭の中じゃなく、体の中から出てきているみたいだった。

きっとSさんも、初めてのたくさんの問いを持ったんだね。

この「問い」が

私たちの人生を動かし始めたのだと思う。