あいにくの雨に見舞われた日でしたが、小川通りを歩いて本法寺を訪ねました。小川通といえば茶道の表千家、裏千家と知られる所です。本法寺は日蓮宗の名刹で当初1436年建立されてから場所を転々とし、1587年秀吉の帰依を受けてこの地に今の基礎が出来ました。本阿弥光悦は父の代からの大檀那で庭園は光悦の作庭、江戸期の枯山水で「巴の庭」と呼ばれています。

イメージ 1

小川通に入る前に見たこの葉、誰が先を切り取ったのだろうと見ていると、葉全部先が切り取られています。


イメージ 2

これはユリノキと説明書が有りました。ふーん珍しい形ですね。


イメージ 3

この通りの角に応仁の乱の頃の遺跡「百百橋(どどばし)」の礎石と有りました。この橋を挟み東軍と西軍が戦ったと説明文にあります。

イメージ 4

少し北へ行くと表千家の門、千利休居士の遺跡「不審庵」の石碑が建ちます。


イメージ 5

その北隣に、裏千家の門、千宗旦居士遺跡「今日庵」の石碑が有りました。


イメージ 6

その辺りの雰囲気はこのようで、狭い小川通です。


イメージ 7

裏千家の向かいに本法寺の御門です。


イメージ 8

本堂の基礎など年代を感じさせられます。


イメージ 9

勅使門の庭、石が九つだけ。「つ無しの庭」と住職が付けたそうです。


イメージ 10

庭の奥に新緑が枯山水の滝組の石に懸かっています。



イメージ 11

光悦意匠の巴形に組み入れられた切石を組んだ池。


イメージ 12

今では巴の形がどの様につながったのか分からない。


イメージ 13

江戸時代200年前ガイド本「都林泉名所図会」に載っている。


イメージ 14

本庭の側の小さな脇庭に有る石灯篭火袋受けの台に味があり、室町時代だろうと庭師の推測。


イメージ 15

本庭から庫裏につながる辺りに有る垣根、光悦にちなんで「光悦垣」が編まれていました。

本法寺を訪ねた日はあいにくの雨模様でしたが新緑が鮮やかに輝き、雨もまた好しといったところです。寺宝に長谷川等伯の「仏涅槃図」幅6m,縦10mの重要文化財は圧巻でした。