新年も落ち着き始め皆様も普段のご活躍をされておられることと思います。私は今年も無事に動き回れるようにと、昔よりの都七福神詣でに出かけました。先ず最初は宇治にあります黄檗山万福寺の布袋さん。万福寺は江戸初期に中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱の尊崇を得て、開創された日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山です。儀式作法は中国明代そのままの仏教作法で行われ、毎日のお経は唐音で発音されているとの事。建物は中国の明朝様式を取り入れられた伽藍配置になっていて中に入ると日本の他のお寺と違う雰囲気が漂っていました。

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最初の門から中国風の幡飾り。




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どーんと山門が構えてます。





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先ずはじめに天王殿の布袋さんにお参り。





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各建物を結ぶ回廊が続きます。




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そして本堂の大雄宝殿。内の建材は全てチーク材です。




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木魚の原型となる開版(魚那)です。時の報せに今も打たれます。行列は七福神巡りの朱印をもらう方たち。


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ふと見ると度迫力の軒瓦は般若でした。




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本堂前の大きな香炉は七宝です。




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中庭のこの丸い石から何を教えられますか?




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開山堂の内陣の大きな幡に大きな魔よけの桃。





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その屋根の瓦は時を感じさせる髭面。




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山門の外に江戸後期の女流俳人菊舎の句碑が。



一字庵田上菊舎は、二十四歳で夫と死別し子供がいなかった為、実家に復籍。俳諧をこころざし、芭蕉を慕い尼僧となって諸国行脚し一世を風靡した俳人。菊舎が万福寺に詣でたのは寛政二年(1790)三月、三十八歳の時でした。
見聞に耳目を驚かしつつ黄檗山の内を拝しめぐり、誠に唐土の心地侍れば
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた」
と詠みました。
続きまして、他の七福神詣でを進めたいと思っていますよって。今年もよろしゅうお付き合い願います。