'05年6月17日

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午前7時 起床 朝食に昨日曜日を間違えて、1日早くパケットを頼んでしまっていて昨日夕刻に届いたボリュームのある箱のサンドイッチを食べる。食後エカテリーナ宮殿への行き方をインツーリストで聞くと、行き方が難しいからガイドを雇えとの一点張り。昨日の事もあるので英語ガイドにすればいくらかと聞くと2,600p、行き帰りの車代も込みだし、まあ良いかとOKする。13時にカウンターにとの事でそれまで外へ出た。昨日のペトロパヴロフスク要塞の近くに、ピョートル大帝が要塞建設と宮殿建設が終わるまでの8年間を過ごした丸太小屋が博物館として保存されているのでそこを訪問。コンクリートの建物で小屋全体が覆われて中に保存されているが、本当に小屋という程度の質素な物であった。昼食を近くの小さなレストランでとった。ジャガイモの大きなのと、ボルシチにイカの炒め物。店内の装飾は骨董品の家庭用品といったものが、壁や棚にあちこち展示されていて面白い。13時近くにカウンターに戻ると中年のアイルランドからの女性と一緒に回って欲しいとの事で、600p返してきた。ガイドに "自分は英語が少ししか出来ないから宜しく" と言うとあっさり "I see" と返された。ガイドの名はイリーサ ベラルーシ出身の美形。

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ピョートル小屋 昼食の小さなレストラン
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エカテリーナ宮殿内庭から 宮殿内の白い階段室

やはりエカテリーナ宮殿は少し田舎にあって車で30分ほどかかった。ロシアの学校が夏休みに入ったせいか入口は満員状態で行列が出来ている。我々は外人観光客故かガイドのおかげか、さっさと何処も並ばずに次々と部屋を回っていける。各部屋、部屋毎黄金のパワーに圧倒される。それと最近復元された話題の「Amber(琥珀)の間」はさすがにと思わされた。内装全てが琥珀で装飾された部屋は、ナチスドイツが撤退した時、その広間に何も残っていなかったという。写真撮影禁止で残念だったが、ゆっくり見せてもらいその職人の手業の細やかさも見事に復元されていると思った。それと忘れてはならない事に、このエカテリーナ宮殿は日本人と深いかかわりを持つ。それは18世紀末、大国屋光太夫を船頭に日本船乗組員が漂流しロシアに漂着した。彼らは北洋の島からサンクトペテルブルグに来てエカテリーナ女帝に拝謁し、帰国の許可を得たのがこの宮殿だ。このロシアバロックからロココ調の宮殿に居ると何ともふしぎな縁を感じた。

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これも化粧台ですか? 部屋にはまだ少し地味ですか
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昼食の間テーブルセッティング 黄金から黄金を通って

エカテリーナ女帝の幻にお会いしたような、宮殿を離れ。ホテルに帰ってから一日出発を間違えて頼んだパケットを再び頼み、また部屋に持ってきてもらった。明日は本当に早起きの朝6時出発でバルト三国へ移動する日。夜中2時ごろ目がさめて、窓の外を見ると橋が起き上がり、跳ね橋になって大型船を通すようになっていた。聞いてはいたが夜中に起きてまで、と思っていたのが見られてラッキー!

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エカテリーナ女帝 陶器のストーブ
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小物にもしっかりとデザイン 宮殿の池の有る裏庭
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夜景のオーロラ号 跳ね橋のトロイッキー橋