今日の備忘録はこれまでとはちょっと毛色が変わりますが。

先日買ってちょうどいま読んでいる川島蓉子の近刊『TOKYOファッションビル』より。大学時代から「渋谷」という土地に知的好奇心を抱いているが、かねてより考えていたことがこの本の著者によっても指摘されている。

川島は1973年に誕生した「渋谷パルコ」について、そのロゴの際立ち方を語るにあたって下記のように記している。



特に渋谷の場合、坂の上というロケーションが、「外観とロゴ」を一体化して印象づけるには好都合な立地だった。「公園通り」の入り口に立った人は、否が応にも建物とロゴを目にする。「公園通り」の入り口からその姿形は鮮烈な印象を残し、坂を上りながら期待感が高まっていく。



川島蓉子 『TOKYOファッションビル』.



渋谷はあの駅を中心としてすり鉢上になっている土地柄が特徴的なのだが、坂の下から見上げると坂に面したあらゆる店舗、看板が一時に目に入る。渋谷という土地が欲望を掻き立てるのはあの地形によるのではないかと私には思える。




TOKYOファッションビル/川島 蓉子

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今日の備忘録。ボードリヤールを引き続き読み飛ばし中。



個性化と呼ばれる地位と生活程度の追求が記号の上に成り立っていること、モノや財それ自体ではなくて差異の上に成り立っていることを理解するのは非常に重要だ。この事実だけが「過少消費」や「目立たない消費」の逆説つまり威信の超差異化という逆説を説明してくれる。それはもはや(ヴェブレンによれば「よく目立つ」)見せびらかしによってではなく、控え目な態度や飾りのなさによって示される行動、反対物に変貌する過剰な見せびらかしであり、より巧妙な差異でもある。差異化は、この場合にはモノの拒否、「消費」の拒否の形を取ることができるが、これはまた極上の消費なのである。


(略)


こうした反消費のきわめて現代的な症候群はいたるところに見出されるが、それは結局メタ消費であり、階級の文化的指数としての役割を果している。もっとも中間階級の方は、この点では一九世紀から二〇世紀初頭にかけての資本主義という巨大なダイノザウルスの子孫であって、見せびらかし的に消費する傾向がある。この点では、彼らは文化的に単純素朴なのだ。階級の全戦略がこのような状況の背後に隠されていることはいうまでもない。


J. ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』.



消費スタイルの「差異化」。メタレベルでの差異化は、円環を描くこととなる。




消費社会の神話と構造 普及版/ジャン ボードリヤール

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今日の備忘録。ボードリヤールによる「消費」をめぐる思考。



消費社会が存在するためにはモノが必要である。もっと正確にいえば、モノの破壊が必要である。モノの『使用』はその緩慢な消耗を招くだけだが、急激な消耗において創造される価値ははるかに大きなものとなる。それゆえ破壊は根本的に生産の対極であって、消費は両者の中間項でしかない。消費は自らを乗り越えて破壊に変容しようとする強い傾向をもっている。そして、この点においてこそ、消費は意味あるものとなるのである。


J. ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』.



また、この記述の少し前には宣伝(広告)に関しての短い言及がなされている。



ただひとつの目的のために、かなりの額の浪費が宣伝によって実現されるが、この目的とは、モノの使用価値を増加するのではなくて奪い取ること、つまり、モノを流行としての価値や急テンポの更新に従わせることによって、モノの価値=時間を奪い取ることである。

同上.


消費社会における広告の役割(本質的な、あるいは結果的な)が示されている。

「消費」の行き着く先が「破壊」であり、「差異化」であるなら、広告の持たされた役割も単に新たな情報を「広く告げる」ということに留まらず、古きもの(あるいは従来のモノ)を更新する(それも強く)いささか暴力的なものである。



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