最近、自分の感覚の変化に戸惑っています。
流産の経験を話しても、
あまり泣かなくなったのです。
私は、流産を経験した方を支える働きをしたいと願って活動していますが、
そもそも、なぜこういうことをしたいと思ったかといえば、
自分自身に流産の経験があることと、
10年以上たっても、その悲しみが心の奥底に残っていることに気づいたからでした。
もう昔のことだから、平気で話せるものと思って
経験を語り始めたら、
泣けて泣けて。
いまだにこんなに傷が生々しいのかと、
自分で驚いてしまったのでした。
ところが。
最近は、
泣けてこない。
これは、なんだか不思議な、落ち着かない感覚です。
悲しみの感情が薄らぐことが、
赤ちゃんへの愛情が減ったことのように、思ってしまうのですよね。
いつまでも心の痛みを生々しく感じ続けることこそが、
愛の証であるかのように感じてしまう。
泣かない自分は、愛情の薄い、冷たい母親であるように感じてしまうんです。
でも、「そういうことじゃないよね」 と、
今、自分に言い聞かせています。
あの子のことを語らないまま過ごした10年間、
この期間だって、泣き暮らしていたわけじゃなかった。
あのとき泣かなかったことと、
あの子のことを頻繁に話す毎日の中で、泣かないことは、
きっと意味が違う。
あの子が今ここにはいないということと、
だけど、いつか天国に行けば会えるんだということとが、
心の中で しっくり落ち着いたっていうことなんでしょう。
きっと、
くりかえし、くりかえし語ったから、
やっと落ち着いたっていうことなんですよね、きっと。
子離れできた、ってことなのかもしれません。
成長した子どもが、いつかは親元を離れ、
子どもがすぐそこにはいない、その状況に次第になれていくように。
天国のあの子も14歳になったわけですから、
親にべったりな年ごろではないですよね。
もしかしたら、あの子が成長してきたってことなのかもね。
