数年前、有名女優さんと若手芸人の結婚式で有名になった、w
生田神社の近くを通りかかったので、ちらっとソメイヨシノを見てきました ^^
生田神社は、西暦201年に創建されたのですが、今は、神戸の三宮の繁華街にあります。
南向かいには、東急ハンズがありますw
実は、昔から、桜で有名だった生田神社。
(生田神社HPより)
江戸時代末期から明治時代初めには、生田神社の門前から海岸にかけての道の両側に桜の木が植えられ、俗謡に「梅は岡本、桜は生田、松のよいのは湊川」とうたわれる花見の名所でした。
古くは長さ1km余りの参道に桜並木が広がる桜の名所として有名でした。今は参道には桜並木はなくなりましたが、境内には春には様々な種類の桜が咲き誇り、生田祭では桜のかざしを身につけ多くの奉仕者がまつりに参加します。社殿や灯籠など、神社内のあちこちに神紋の八重桜がほどこされています。
ということで、神紋は、八重桜です ^^


鳥居の奥に見えるのが、楼門。その右手にソメイヨシノがありました。
ちなみに、参道にある、一番外側の鳥居は、さらに南、いくたロードを下った入り口にあります。

八分咲き、と言ったところでしょうか。。 ^^
神社の境内ということもあり、枝には、たくさんのおみくじが結ばれていました。

快晴 ^^

(やっぱり、ケータイカメラ。。。いくら、オートフォーカスとはいえ、、ピントがボケボケです。。^^;)
そして、この生田神社は、阪神淡路大震災のみならず、何度も被害から立ち直ってきた経緯があり、
復興のシンボルとしても知られています。
また、生田神社の社領が、ちょうど今の神戸市の辺りだったことから、
「神戸」という名称が生まれたと言われています。
生田神社
兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1
(Wikipediaより抜粋)
201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”に居りたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせて欲しい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。
当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に祀られていた。799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。
平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。
神階は859年(貞観元年)に従一位まで昇った。延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相甞・新甞の幣帛に預ると記されている。
近代社格制度のもとで1871年(明治4年)に県社に列格し、その後1885年(明治18年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、1896年(明治29年)には官幣中社に昇格した。
社殿は、1938年(昭和13年)の神戸大水害、1945年(昭和20年)の神戸大空襲、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災など何度も災害等の被害に遭い、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。