昨日2月20日から開会の都議会「第一定例会」初日が、予定の午後1時に開かれないという異常事態となりました。

「禁足」となり、都議会議会棟から出ることができなくなりました。

本会議開会に向けて何がいつ起こるかわからないので、議員は控え室に待機となったのです。

「禁足」。民間企業出身の私にとっては聞いたことのない言葉です。

また一つ新しい日本語を覚えました。(笑)

 

 

最終的には、日をまたいだ、翌2月21日の午前0時5分より、正常な議事進行となり、知事の所信表明は0時30分頃からと11時間遅れで無事実施されました。全てが終了し、解放されたのは午前2時を過ぎていました。

 

 

何でこうなってしまうのか?
外から見たら、不思議で仕方がないと思います。

 

・「働き方改革」を率先して示すべきなのに、情けない。

・ 残業代は税金の無駄遣いじゃないか、残念だ。

 ※一般職員の残業代については仰せの通り。深夜になっても、

  知事はもちろん、管理職職員と議員への支払いはありません。念の為。

 

など、ご意見があるのはごもっともだし、無理もないことです。

 

・ 議会運営を人質にとり、事態を紛糾させ、マスコミ報道の注目を集めようと動く「野党」会派。 

 

            VS


・「予算議会」をしっかりと進行し予算を成立させ、4月からの新年度の都民への行政サービスの執行に支障を来さないよう責任を持って進行しようと考える「与党」会派。

 

この対立の構図は、国会でも都議会でも同じです。報道でしか知りませんが、多分アメリかの議会も同じなんではないかと。
 

それぞれの立場からの、今回の「紛糾」に対する見解が異なり、SNSなどを通して、それぞれの主張がなされているのが現状です。

 

ここに至るまで、約1週間、都議会は混乱していました。

 築地跡地の再開発の事業を、縛りが多い「市場会計」から、民間の知恵を入れて柔軟に取り組める「一般会計」に所管替えするにあたり、

 

・常任委員会(経済港湾委員会・財務委員会)で普通は出席する必要がない知事の出席を求める「野党」会派 

 

 

・本会議代表質問・一般質問で知事に質問でき、予算特別委員会では知事と一問一答の質疑ができる場があり、十分であるとする「与党」会派

 

とで見解が異なり、野党会派の動きにより、経済港湾委員会が止まり、財務委員会が止まりました。事前の説明聴取の委員会が終わらないと「本会議」は開会できないのがルール。だから、委員会を止めることは、本会議に影響を与えるということなんです。

 

民主主義は最後は「数」ですから、都民ファーストと公明さんとで「強行」に正常化させることはできましたが、時間をかけて全ての会派の納得が得られる合意点を見つけようとした。これが、今回の「長時間化」の顛末だと私は理解しています。

 

前職で内閣府に出向し、職員側で国会運営の紛糾を見ていた時から、何とか方法はないのか?と思っていましたが、私から確信として言えることは、「働き方改革」は進めるべきだし、通常の事業・業務・職務における不断の改善は徹底的にやるべきですが、こと「議会運営」に関しては、残念ながら難しいのだなあ。ということ。

 

政界の先輩である、都民ファーストの会・両角譲議員のポストが腑に落ちましたので(ちょっと長いですが)引用いたします。

 

”都議会の会派間調整は非公開の理事会で行われ、そこでのやり取りは原則、外部に漏らさないことがルールとされています。しかし、ある程度のことを参加している理事がマスコミに話をしたり、なかにはネットにあげる人もいるので、「こうした事で揉めているんだな」となんとなく外部に漏れ伝わっていくものです。

 

ただ、何をどう揉めているのか、正確なところは交渉当事者以外は良く分からない部分もあり、その当事者もそれぞれ感じ方が違うため、マスコミ情報含め、スタンスの違う会派の言い分をそれぞれを聞いてみないと本当のところは分からないものです。

理事会で合意が整わないと(場合によっては理事会に最初から出てこない)休憩となり、非公式の相対、あるいはマルチの交渉が断続的に行われます。その間、いつ・何時に開かれるかもしれない本会議に向けて議員は禁足(議会棟から外出できない)となり、‬局長以下の都職員もただひたすらの待機!となります。

 

妥協点が見出せず、時に感情的な対立となる交渉ですが、自ずとタイムリミット・デッドラインがあるものです。長時間の拘束でグタグタ、ヘロヘロになるなかで、そのギリギリのタイミングでカードを切り合い妥協が成立する → 議会が動き出す というのが良くあるパターン。

というか、現実にはほぼコレです。

 

その一線も越えれば(例えば、定例会が流会となり年度内に予算が成立しないなど)、場合によっては世論の反発を招き、双方ともに傷が大きくなるからです。

国会から都議会まで、議事進行の入り口で主張がぶつかり、交渉場所である議運の理事会が休憩あるいは開かれない状態となる。委員会や本会議の審議を人質に交渉のためと称する時間が流れていき、議員は禁則となり、足止めを食らった膨大な職員が徹夜待機で膨大な残業代が嵩む。たまに目にする風景であり、確かに大きな無駄です。

一方、こういった局面は重大なテーマを巡り会派間で如何に自らが望ましい方向に場の設定ができるかを真剣に鎬を削っている時でもあります。

即ち、審議方法をどのようにするのかといった入口の議論は、実は、物事を決定するとか、特定のことがらを政策課題としてアジェンダに設定するのと同様に政治が機能を発揮する本質的な部分でもあるのです。

 

「民主主義では、民意の代表である議員が多数決で決めていく。」

 

この根幹を変える必要がないと考える限り、議会運営の入り口での攻防は省くことのできないことなんだと。


待機している職員も、議員も、その時間を「都民生活の向上のための事務作業など」に有効に使って、頑張り続けるのが次善の策なのかなあ。と。
少なくとも私は、そうして昨晩を過ごしました。