企画展「ともだちの記憶」を見終わったのが18:30前だっただろうか。3月~7月は19:00で閉館となるため、本館の常設展示を駆け足で見学した。結論から言ってしまうとやはり「駆け足」で見学するのでは足りず、時間を取って見学することの必要性を感じたのは言うまでもない。そのため、旅行最終日の7/1に再度平和記念資料館を訪れて、じっくり見学した。

 

 広島の平和記念資料館は「東館」と「本館」からなっている。「東館」は2014年からリニューアル工事が行われており、2017年にリニューアルオープンした。一方、「本館」は2019年にリニューアルオープンしている。私は2015年の旅行で平和記念資料館を見学しているが、資料館がリニューアルされたと聞き、ずっと見学したいと思っていた。しかし、コロナ禍による緊急事態宣言やまん防、さらに自身のコロナ罹患もあって何度も延期になってしまったのは「序章」で説明したとおりである。

 

 最初に「東館」の3階を通って導入展示を見る。そこには被爆前の広島の街の姿が大きなパノラマ写真で展示されていた。当時の商店街の写真や学校に通う子ども達・教員の写真などが展示されていた記憶がある。児童生徒と教職員の笑顔の写真、プールに入る子どもたちの写真を見ていると、時代は違えど、今と何ら変わりない生活があったことが読み取れる。ところが、1945年8月6日、原爆投下により、広島の街は一瞬にして焦土と化した。一面焼け野原になった当時の広島の写真を見ていると、東日本大震災の津波で何もなくなった街と重なるようだった。

 

 平和記念資料館の公式HPでも展示の概要について説明されているので、併せてご覧下さいm(_ _)m

 

 

 その後、長い廊下を通って「本館」へと入る。被爆した建物の一部(実物)や、被爆された方が当時着ていた衣服、帽子、かばんなどが展示されていた。実物や遺品の展示は2015年の旅行でも見たが、リニューアルされた平和記念資料館の展示は、被爆された「一人ひとり」にスポットが当てられているように感じた。被爆された方の顔写真と名前を見ていると、「被爆者」と呼ばれた方にも「人生」があったことを感じる。戦時中という事情はあれど、誰もが原爆投下の直前まで穏やかな「日常」を送っていたのだ。

 

 そして2015年の旅行でも見た「佐々木禎子さん」の展示もあった。禎子さんは2歳のときに被爆するが、命に別状はなく、体育が好きな少女に成長した。ところが、1955年、小学校卒業直前に白血病であることが分かり、闘病生活を送っていたが、同年10月に12年の短い生涯を終えた。あのとき、命が助かっても生きられなかった人がいることに衝撃を受けた。(禎子さんの生涯に関しては2015年の広島旅行記で書いているので、そちらも併せてご覧下さい)

 

 禎子さんの話ではないが、被爆から17年後に白血病を発症し、25歳で生涯を終えた女性の話が2023年8月のNHK NEWS WEBの特集に掲載されていた。女性は闘病中、手帳に「もう一度パンプスで歩きたい」などと綴っており、最後まで「当たり前の日常を取り戻したい」という思いを持っていた。強く印象に残った話であったため、リンクを貼っておく。

 

 

 「東館」では、原爆投下に至るまでの経緯や核兵器そのものについての展示もあったが、閉館時間である19時が迫っていたため、旅行3日目である7/1に見学することにした。資料館見学に関してはかなりの駆け足で書いてしまったが、実際に現地に足を運んで、自分の目で見て頂きたい。実際に見てみなければ分からないことが沢山あるのだ。

 

 19時に平和記念資料館を出たあとは、じぞう通りにある「武蔵坊」へ汁なし担々麺を食べに行くことにした。その前に平和記念公園のモニュメントなどをいくつか撮影していった。

 

 下の写真の時計は「地球平和監視時計」といい、資料館の外から撮影した。最上段には現在の時刻、中段には広島に原爆が投下されてからの日数、下部には「最後の核実験からの日数」が表示されている。「最後の核実験からの日数」は、新たに核実験が行われるたびにリセットされる。

 

 この写真を撮影した2024年6月29日時点では、最後の核実験からの日数は「46日」と表示されていた。たった1ヶ月半ほど前に核実験が行われていたことに衝撃を受けた。最後に核実験を行ったのはアメリカで、核爆発を伴わない「臨界前核実験」だった。バイデン政権下で実施されたのは3回目だという。

 

 自分でも上手く表現できないが、核爆発を伴わなければいいと考えているのだろうかと疑問に思った。アメリカの臨界前核実験は「核弾頭の安全性や有効性を確保するために重要な情報を収集すること」を目的としているそうだが、やはりいつかは核兵器を使うからこそ実験しているのだろうか?悲しいことだが、第二次世界大戦から80年近く経つ今でも、核兵器の廃絶にはまだ程遠いと感じた。2015年の旅行記でも書いたが、戦争に勝ちも負けも存在しない。互いの心にトラウマを植え付け、その後の人生を大きく狂わせてしまうのだ。

 

 2015年の旅行でも見た「郵便は世界を結ぶ」と刻まれたポストの写真を撮った。これも「平和」への願いが込められているのだと思う。

 

 それでは次回に続きます!