さてさて、2022年から始めた「東日本大震災慰霊の旅」の記事の中から生まれた「名言」を紹介していきます!

 

 

私が見たものは石巻だけでなく、東日本大震災で被害を受けた全ての都市の「ほんのごく一部」にしか過ぎない。

初出はコチラ。(2022年10月更新)

 

 私の旅行記では、その土地に旅行に行った「きっかけ」から書くようにしていますが、これはなぜ気仙沼・陸前高田に行こうと思ったか?を書いたものですね。

 

 私が「被災地慰霊の旅」を始めたのは2022年2月の石巻旅行が最初でした。初めての震災慰霊の旅で学んだことは、「ライフラインや壊れた建物が直されても、被災地に人が戻ってこない」「震災前の暮らしには戻らない」という現実でした。

 

 しかし、東日本大震災で被害を受けた地域は広範に及び、「石巻を見ただけでは足りない」とずっと思っていました。特に陸前高田は私が好きなゆるキャラ「たかたのゆめちゃん」の故郷であり、必ず現地に足を運んでみたいとずっと思っていました。

 

 これまでに石巻、気仙沼、陸前高田、南三陸と4つの被災地に足を運びましたが、地域によって受けた被害や、防災に対する考えに大きな違いがあることが分かりました。

 

 石巻市立門脇小学校では、近くに標高60mほどの「日和山公園」があったため、在校児童は全員そこに避難して助かりましたが、石巻市立大川小学校では、近くに安全に避難できる場所がなかったこともあり、全校児童108人中70人が犠牲・4人が行方不明という痛ましい結果になってしまいました。同じ「石巻市」であっても、地形や町の成り立ち方が違うことが、運命を大きく左右したと言えます。

 

 私は車を持っておらず、公共交通機関での移動がメインになるため、行けるところは限られてしまいますが、「自分の目で見たい!」と思うところには足を運び続けたいと思います。

 

 

 

「震災前の姿を忘れない」ということは、「生きていた人々の記憶を語り継ぐ」ことでもある。

初出はコチラ。(2022年11月更新)

 

 

 気仙沼・陸前高田で震災遺構を見学し、「震災前の姿を忘れないで欲しい」と思った理由を書いたものです。

 

 あのとき訪れた震災遺構のひとつに、宮城県気仙沼市にある「宮城県気仙沼向洋高校」があります。気仙沼向洋高校では、被災した校舎の外観だけでなく、内部を初めて見学しましたが、校舎3階に津波で流されてきた車が残っていたこと、校舎4階まで津波で浸水したことを知り、衝撃を受けました。

 

 地震・津波被害の大きさを知って胸が痛む思いでしたが、それよりももっと胸が痛んだのが、震災前の気仙沼向洋高校の学生生活の写真を見たときでした。もうあの楽しかった学生生活は戻ってこないんだなぁ…と思ったと同時に、「この校舎が生徒の笑顔あふれる学び舎であったことを忘れないで欲しい…」と思わずにはいられませんでした。その後訪れた石巻市立大川小学校、門脇小学校でも同じことを強く思いました。

 

 震災遺構は何のために残すのでしょうか?一番の目的は「災害の恐ろしさを伝えるため」なのですが、現地で震災遺構を見て思ったのが「震災前の姿を忘れないで欲しい」ということでした。

 

 震災から12年が経ち、町の姿は以前の風景を思い出せないくらい様変わりしました。南三陸ホテル観洋に泊まったときに乗った「語り部バス」では、ガイドさんが「『風化』以上に『なかったこと』になっていく」と仰っていたのが印象的でした。震災前の風景を思い出せなくなるということは、そこに生活があったことだけでなく、そこで生きていた人の存在まで忘れ去られてしまうのではないかと思いました。

 

 「人は二度死ぬ」と言われており、一度目は魂が肉体を離れたとき、二度目はその人が生きていたことを知る人間がいなくなったときです。忘れ去られてしまうほど辛いことはありません。災害の恐ろしさだけでなく、かつて町があったこと、そこで生きていた人がいたことを語り継ぐことが、これからの「伝承」に求められてくることなのかな、と感じました。

 

 

 「ブログから生まれた名言集」シリーズの記事はこれからも不定期で書いていく予定です!「文章」にして思いを残すことって大事ですからね。