※震災遺構の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。

 

前回までの記事はコチラから。

 

 

 

 

 校舎全体を一通り見たあと、校舎内の様子などを写真に撮っていった。よく目を凝らすと、全体を見ただけでは気付かないこともある。
 
 校門の近く、昇降口があったと思われるところには千羽鶴が供えられていた。千羽鶴が寂しそうに風に揺れていた。

 
 1〜2年生の教室があったとされているところを紹介していく。円形の校舎が特徴的だった。
 
 教室内部を拡大して撮った写真。津波の直撃を受け、天井がはがれ、鉄骨がむき出しになっている。机などは残っていない。おそらく津波で流されてしまったのだろう。
 
 当時使っていたと思われる黒板が置かれている。
 
 机の上には花が供えられていた。子ども達はこの教室でどんな授業を受けていたのだろう。
 
 黒板の存在が、かつてここに教室があったことを伝えている。かつての面影は全く想像できない。
 
 その後、3~6年生が使っていた教室を見ていった。写真右側に映っている建物が3年生以上の児童が使っていた教室となる。
 
 むき出しとなった鉄骨、破壊されたコンクリートの柱が痛々しい。
 
 3年生以上の教室でも、天井が無惨にも破壊され、鉄骨がむき出しになっている。また、窓ガラスの骨組み(?)が曲がっているように見える。

 あの日の津波は8.6mにも達し、校舎の2階にも津波が到達した。2階の校舎も天井が破壊され、窓ガラスがなくなっている。津波の映像を見てもまだまだ実感がわかないが、川を遡上してきた津波の水かさがあっという間に増していって、8.6mの大津波となったのだろうか。
 

  これまでに、大川小学校の記事を3編書いてきたが、自分でもこれからのペース配分が全く読めない。自分でも上手く表現できないが、「物言わぬ語り部」からのメッセージをどのように表現したら伝わるのだろうか、と考えながらブログを書いている。

 大川小学校・門脇小学校だけでなく、その他の震災遺構でも同じことが言えるが、「悲惨」という言葉だけでは片付けてはいけないものがある。震災前の姿、震災後の姿、震災による影響、災害伝承、教訓、伝えていかなければいけないことが沢山ある。

 次回以降のブログ記事で、体育館や子ども達が描いた壁画のこと、敷地内にある「大川震災伝承館」を見学した感想などを書いていく。写真と文章だけでは伝わりにくいところもあるかもしれませんが、子ども達の「日常」「笑顔」「命」があった小学校から、何かを感じ取ってもらいたいと思います。

 それでは次回に続きます!