※震災遺構の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。
前回までの記事はコチラから。
12:25に大川小学校に到着した。川沿いということもあり、とにかく風が強い。タクシーの運転手さんから「風が強いので飛ばされないように気を付けて下さいね〜」と言われたのだが、本当に飛ばされてしまうのではないかと思うくらい風が強かった。
かつて校門があったところなのだろう。これだけ見ると「今もやっている現役の小学校では?」と思ってしまう。しかし、周辺に集落はなく、子どもたちが生活している気配もない。ここが「震災遺構」だという事実を突き付けられる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230202/10/fumiko-cherry/f1/9c/j/o1080060715237636614.jpg?caw=800)
北上川を遡上してきた8.6mの津波が学校を襲い、学校管理下にあった全校児童108人中70人が亡くなり、教職員も11名中10名が犠牲となってしまった。児童4人が今も行方不明となっている。その後の避難誘導や学校側の対応を巡って、遺族が学校を相手取って裁判を起こしたのは既知のとおりである。
震災後、生存した児童は「石巻市立飯野川第一小学校」(現:石巻市立飯野川小学校)に通うことになったが、2014年からは「石巻市立二俣小学校」の仮設校舎に通うことになった。大川小学校の校舎を建て直すことも検討されたが、周辺地域が「非可住区域」に指定されたことにより児童数が減少し、2018年3月をもって閉校となった。現在は「石巻市立二俣小学校」に統合されている。
大川小学校を訪れたブロ友さんのブログで見たこの看板。かつて町があったことは全く想像できない。子どもたちが走り回っていた風景も全く想像できない。周辺地域が「非可住区域」になったことにより、「人々の生活の営み」が消えてしまった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230203/10/fumiko-cherry/10/af/j/o1080060715238037639.jpg?caw=800)
大川小学校敷地内にある「大川震災伝承館」と大川小学校の校舎を行ったり来たりしながら、見学していった。
校舎の詳しい様子等は次回以降の記事にて書いていきます!