この記事で、「秘密の花園」の書評、完結です!長らくお待たせしましたm(_ _)m

 

 
 前回の記事はコチラから。
(1)〜インドとイギリスの文化の違い〜

 

(2)〜死ぬことよりも「生きること」を〜

 

 
 「秘密の花園」は一度完読しているのですが、今回の書評を書くにあたって再読しました。
 「秘密の花園」を読み終えて思ったことが、作者(バーネットさん)は「カラダの内側から元気になることの大切さ」を書きたかったのではないか?ということです。ただし、「カラダの内側」といっても、腸内環境や栄養状態のことではありません。「心の底から元気になる」ということ、つまり精神面での健康の大切さなのだと思います。
 
 メアリとコリンに共通していたのは、モノやお金には恵まれていたけれど、人の愛情や「〇〇したい」という意欲に飢えていたということです。英領インドの裕福な家庭で育ったけれど、両親はメアリには無関心で、他の同年代の友達との関わりもなかった。そして、メアリの両親がコレラで急逝したときは、父の同僚の軍人に発見されるまで、メアリの存在すら忘れられていた。
 一方、コリンは母親(ミセス・クレイヴン)が亡くなってから父親に見向きもされなくなり、「もうすぐ死ぬ」「せむしになる」と周囲から散々言い聞かされて育ってきた。そしてコリンは事あるごとにかんしゃくを起こし、周囲の人はコリンの思うがままにさせてきた。つまりは本気でコリンに向き合ってくれる人がいなかったということです。どんなにお金やモノに恵まれていたとしても、「心から幸せなのかどうか」は別問題なのでしょう。
 
 そんな二人が「秘密の花園」を見つけ、ディコンと動植物を育て、10年間も閉ざされていた「秘密の花園」を生き返らせました。「秘密の花園」を生き返らせることは、メアリとコリンにとっては「飢えていた心を生き返らせる」ことでもあったのだと思います。
 
 動物や植物は誰かに言われるまでもなく、自然の恵みを享受して生きています。ヨークシャーに暮らすディコンも、義務感で動植物の世話をしているわけではなく、むしろ「自分も生き物になった感じ」で暮らしていました。一方、メアリとコリンは自ら「〇〇したい」と訴えることはなく、人に何かしてもらわないと行動できない子どもでした。実際、メアリは何から何まで「人にやってもらう」生活だったために、9歳になっても自分で服を着ることすらできなかったし、遊びに行くにしても「誰がお供なの?」とマーサに尋ねるくらいでしたから…。動植物とディコン、メアリとコリンの対比は「〇〇したい」という意欲があるかどうかなのかもしれません。
 
 本当はもっと書きたいことがあるのですが、あまり沢山の「秘密」を公開しすぎるといけないので、ここまでにしておきますm(__)m
 
 「心の底から元気になること」、新型コロナが流行っている今だからこそ大事なことですよね~。結局コロナ収束には至らず、感染者は増えるばかりで、正直、コロナよりも世間の重苦しい雰囲気にやられてしまう人のほうが多いのではないかと思います。
 もし現代にメアリ達を登場させることができるなら、「死ぬことよりも、生きることを考えましょうよ!」と一喝してくれないかな~と考えてしまいます(^_^;) 自粛や制限ばかりの生活は本当に息が詰まってしまうし、こういうときだからこそ、「心から元気になれる方法」をみんなで考えていくべきだと思ってしまいます。
 あと、私見ですが、コロナには罹らないのが一番ですが、退院して元の生活に戻っている人も沢山いらっしゃいます。そういう人達の情報ももっと伝えて欲しいです。
 
 完結までに時間がかかりましたが、お読み頂きありがとうございましたm(__)m