呉駅から大和ミュージアムまでは、徒歩5分ほど。専用の通路を通っていく。






通路にはイカリや船のモザイクアートが施されている。呉が「海の街」だということがよく分かる。




呉市の花「つばき」も描かれている。


案内に従って通路を進み、ショッピングモール「ゆめタウン呉」の中を通り抜けると、大和ミュージアムはすぐそこだ。
また、見晴らしも良く、瀬戸内海も見渡せる。
沢山の船が停泊しており、呉が「造船の街」だということもよく分かる。







大和ミュージアムの外観。





ネプチューンの銅像まである。

入場料800円を払って、大和ミュージアムへ入る。


ミュージアムショップでお土産を見てから展示を見に行った。
まずは「10分の1大和」を見に行く。実際の戦艦「大和」が10分の1スケールで再現されている。で、でかっ!いくら10分の1スケールとは言えど、あまりの大きさに圧倒された。

また、「10分の1大和」をバックに記念写真の撮影をしてくれるサービスもある。実際に私も撮ってもらった。
初めて一人旅で自分の写真を撮ってもらった。
海軍帽を被って、敬礼ー!

写真on写真です(笑)

携帯のカメラでも撮ってもらったのだが、逆光で写りが悪くなってしまった(T_T)
ちゃんとしたカメラで撮ってもらって、その場で現像してもらえて、立派な(?)台紙に入れてもらえる。お値段は1,100円だった。

大学の卒業式で初めての長野一人旅(松本・長野)の写真を先生に見せたとき、「自分を入れた写真を撮ってもらうといいよ」とのアドバイスを頂いた。「例えば、『松本城と私』なんて風にね…」

一人旅で自分を写してもらう、というのは考えたことがなかった。家族旅行も含めてだが、私が撮る旅行写真といえば、風景や観光地、ご当地グルメ、ゆるキャラ、駅名標、駅舎、列車などである。
「人」より「物」を撮ることが断然多いし、「全体像」よりも「個」を重視する。だけど人物写真はあまり撮らないし、撮られるのもどちらかと言えば苦手なほうである。自分の顔に自信がない、というのが主な理由だが。

今回撮影してもらったのは、あの時の大学の先生からのアドバイスもあったが、何よりも「私」(あずさ)という一人の人間が旅行で広島を訪れ、様々なことを学んだという記録を残したかった。
観光地をバックに、自分という人間を写した写真を残す。あの時、確かにこの地に自分がいた、という証明にもなる。


おっと、話が脱線\(^o^)/
本題へ移ります。

戦艦「大和」は、1941年12月、呉海軍工廠(こうしょう)にて建造された。当時の日本の最先端技術で作られ、かつ国家の重大機密として扱われていた。

「大和」が目指していたものは「量より質」だったと言われている。諸外国の軍事力の高さを知っていたであろう日本。「数」では追い付けない部分も「質」ならカバーできるだろう、との考えだったと思われる。「量より質」の考え方は現在でも強く根付いているように感じる。

当時の最先端技術で建造された「大和」だったが、1945年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途中でアメリカ軍の艦載機の攻撃を受け、沈没した。乗員3,332名のうち、3,056名が亡くなり、無事生還したのはたったの276人だった。
「大和」の残骸の多くは今でも鹿児島県沖に眠っている。

「戦艦大和」というと「カッコいい」というイメージしか思い浮かばなかった私。当時の最先端技術で作られたという華やかな事実の裏には、沢山の命の犠牲があった。
当時の日本は「量より質」で強さを見せたかったのだろう。だがしかし、「大和」は沈んでしまった。亡くなられた方も無念だが、生き残った方も後悔や罪悪感に苛まれながら生きていることを知った。

実際に、特攻に向かった若者が書いた手紙が展示されていた。10代後半~20代という年齢で戦地へ向かわなければならない恐怖。「お父さん、お母さん、さようなら…」「お国のために戦ってきます」といった文言。本当に辛かったのは家族との別れだったのかもしれないな…。また、「大和」の乗員の方の手記で「早く普通の生活に戻りたい」と書かれているものもあった。

戦争の時代に突入し、「お国のために…」と戦うようになった人々だったが、「家族」や「当たり前の日常生活」を思う気持ちは変わらなかったのだと思う。決して表には出さなかったけれども、誰もがまた、「当たり前の生活」を送れることを願ってやまなかったのであろう。

戦争が終わっても、「大和」で培われた造船の技術は生かされ、発展し続けた。その技術が、大型タンカーや家電製品、自動車の生産や製造に生かされている。

理解できたかと聞かれると自信はないが、「華やかな事実の裏には多くの犠牲があった」ということが、大和ミュージアムを通して学んだことだ。
戦艦や特攻隊についてはまだまだ知られていないことが沢山あると感じる。
大和ミュージアムもまた、平和の大切さを語り継げる博物館であって欲しいと思った。



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