アーアアーヨーイナー 明日はお立ちかお名残惜しゅや(ア ヨーイセソーコセ) ア 六軒茶屋まで 送りましょ 六軒茶屋の曲がりとで 紅葉のような 手をついて 糸より細い 声を出し 皆さんさよなら お静かに また来春も 来ておくれ 来春来るやら 来ないやら 姐さんいるやら いないやら これが別れの盃と 思えば涙が 先に立つ 雨のナー 十日も ヨーイ御連中さんよ 降ればよい


 と唄いますが、六軒茶屋は松阪の六軒と思っていました、が……ですが……

資料を見直すと↓


徳川初期、間の山の六軒家といわれた頃から僅かに十数 年後の承応年間には、中之地蔵町六十三軒、古市町九十六軒と人家がふくれ上っている


 ですわ、まぁ…かなー?!です


台風じゃなくて熱帯低気圧か  

  青い秋空と涼しい爽やかな風は

まだかーい。