国東半島の良さについて | ほっと一息していきませんか?

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ここ数日私の住む街にまつわる文化について何を書こうかと思案した

きっかけは文殊仙寺や岩戸寺・三浦梅園旧家や資料館を訪れたことによる

しかし、切り出す事柄について文学的に書くべきか歴史的に書こうかそれとも四季折りの美しさについて述べるべきか、はたまた自然の残されたままの貴重さを書こうか戸惑うとともに書かずに私の胸に納めておこうかとすら迷うものだった。

なぜなら手つかずで残された貴重な文化財や自然が公共の情報に発信されることにより訪れる人が増え原型を保てなくなるのが惜しかった

そして考えあぐねた結果私の辿った街の歴史探訪を私の薄れゆく記憶の中から紡ごうと思った

人知れず残る歴史の宝庫への誘いとでも言うべきか

ご存知の通り知る人ぞ知る歴史的価値のある街に生まれ小学生の頃からやれ遠足だ社会見学だと訪れる数々の遺跡、文化財について当たり前にすらある地元の住民だその歴史的価値をどれくらい伝えられるかには疑問が残る

しかし歴史を遡れば古墳文化からみる価値のある歴史あるところそれが国東半島なのだ!

どこから話せばいいだろう

弥生文化からか?

近年できた弥生の村では古墳文化が体験できるし

観光地として海辺の黒津崎海岸には古墳が眠っている

小さな古墳群だ

ここが小学生の毎年訪れる遠足地

古墳に触れられる数少ない観光地なのだと思う

小さな頃は古墳に登る子供もいた貴重な文化財にベタベタ触れる貴重な地だ

小高い丘が何個もあるので皆大事にしないほどに身近な存在だ

遊び場なのだ

いわれを聴くと今更ながらに驚きを隠せない

古墳で遊んでも良いものか?

歴史的価値を思うと周囲を囲い触るのも禁止して拝観料を徴収してもいいほどなのではないかと思われてならない程に商売っ気のない地方の町だ

恐らく昔あった

私の小学生の時代にはあったと記憶される町の歴史資料館には記載されていたのか?

その歴史は古墳から始まる

古墳のある海岸から里に入ると河原の板碑と言うところでは歴史資料館の係員さんが夏休みに希望者を集いその辺の丘の林に分け入り古来の遺跡発掘もどきを体験できる

しかしテレビや雑誌の画像のように土を掘り起こして発掘する考古学風景ではなく

ここ掘れワンワン🐶ではないが芋掘りくらいの感覚で幸いなら昔の遺跡が掘れる

今はどうかわからないが掘れていた

古い瓦や土器の破片が出てくるのだ!

芋掘りくらいの土の中から土器の破片?!今考えれば破格の体験だった

言えば貝塚の様なものなのだがそのようなものが身近にあり過ごした幼少時代だった

私は少し考古学に興味がある

小学生の時代にこの歴史資料館のイベントに何度か参加している

ここ掘れワンワン🐶は今でも記憶に鮮明に残る思い出だ

あれは楽しかった歴史のロマンを感じながら近所の林の中に分け入り発掘体験ができた

今思えばなんとも言えない思いに駆られる

発掘場所といえば大概お出入り禁止なのに?

その辺の身近な話なのに驚きを隠せない

もっと観光地化してもいいのではと思うほどの素朴さが残る

古墳からしてこうなのだから

古き良き時代を古墳文化が体験できるし

なんとも言えない歴史探訪ができる土地なのだ

さて時代は平安鎌倉の仏教文化へ話に花を咲かせるにはこの土地の文化を古墳文化から紐解かねばならない面倒くささを超えて話をし始めた

歴史好きには垂涎の的なのだった

ツウは喜ぶお土地柄です💖

話し始めればキリのないほどに歴史的価値は多い

単に田舎だと言うには陸の孤島と言われた地形に触れずにはいられない

このようなほぼ手つかずで商売っ気のないお土地柄で遺跡が残された奇跡について少し述べたい

九州は大分県に位置し北部の方にあるのが国東半島だ

その半島の先端が国東町なのだ

その半島の付け根から出っ張り交通網の少なさ不便さから過疎化地域とも言われるが交通網の不便さ故に取り残された歴史的町なのだった

陸にある孤島

日本のガラパゴスとも言える

こんな呼び名をつけると地元の人に怒られるかな?

自由に描いてしまう私を許してほしい

ガラパゴス故に古き良き時代を残す

さて話は訪問した

文殊仙寺・岩戸寺・三浦梅園旧家、資料館に話を進めたいがなんとも洗濯物を干す時間になった為ここで切り上げる

私の訪れた岩戸寺は苔むす寺とも言おう

想像してみてほしい

苔むす寺が一度このようなSNSに触れてしまい人混みのなかその雑踏に踏まれ苔の剥げてしまうかもしれない可能性を見た時話したいけど秘密にしておきたいとも言う私の気持ちをだ

このまま維持されることを望む気持ちとその素晴らしさに人に伝えたい欲求のせめぎ合いなのだと書き

この話は後につづくと