ラマナ・マハルシはある日突然に真我と私は同一であるという意識状態に達した。その意識状態の変化はヴェンカタラーマン(ラマナ・マハルシの名)の生活習慣や価値観に変化をもたらした。友人や親戚との関係に対する興味を失い、勉強は機械的にすませるだけになった。人々とのつき合いでは従順になり、多くの仕事を頼まれて不平を言ったり他の少年の嫌がらせにやり返すことはなくなった。

 アーナンダモイ・マーは何であれお付きの人が与える食事を飲み込み、誰も与えないならば自分で食事をすることはなかった。

 肉体に執着を持たず、むしろ肉体には意味が無いという意識なのだろうが、最初はどういう解釈をしてよいか分からず、むしろ拒否反応があった。しかし他の方の在り方も知ってみると、真我の意識に達することと自らの肉体の扱い方には関係が無いことが分かってきた。むろん自らの身体に執着しないという共通点はあるが、その身体で何をするか(身体を何に使うか)はそれぞれ人によって違うのである。また他人や動物達については肉体や財産など、意味的には大事にしているものを尊重することも共通している。

 そう考えるとラマナ・マハルシやアナンダモイ・マーの一見すると身体を粗末にするような行動を拒否する必要は無いように思えてきた。ラマナ・マハルシが自宅に入った強盗に対して好きにしなさいと言ったようなことは自分にはできないが、少なくとも行動として納得できないということはない。