自我に対する理解の深浅という寓話が『ウパニシャッド』にあるが、その大意を紹介したい。


 造物主が、自我を発見して識得するものはあらゆる願望を達成する、と言った。

 それを聞きつけて、帝釈天と遍照鬼が造物主の下で32年間の修行をした。そして造物主が、鏡を見て自我を見い出せと言った。遍照鬼はそれを聞いて、自己を愉しませ自己に奉仕することであらゆる願望を達成すると理解して、鬼神達に伝えた。帝釈天はそれでは満足せずさらに32年間の修行をした。

 そして造物主は、夢の中で活躍するものが自我であると伝えた。帝釈天はそれでは満足せずさらに32年間の修行をした。

 そして造物主は、眠りの中で寂静に没入し夢すらも識らない状態になった時が自我であると伝えた。

帝釈天はそれでは満足せずさらに5年間の修行をした。

 そして造物主は、感覚を受ける主体、言葉を語り考える主体、それが自我であると伝えた。帝釈天は満足し、それを神々に伝え、神々はあらゆる願望を達成した。

 鬼神に仕えるものは、身体を自己と考え施しも信心もない。神々に仕えるものは、他人の中に自分と同じ主体を見て、施しを、行い信心を持つ。